戦前日本の憲政の常道期における民主主義とは

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戦前日本においても憲政の常道期における政党政治という民主主義が立派に成立していたという意見も時々見かけます。

しかし、戦前日本の憲政の常道期の政党政治では、一度も総選挙の結果に基づいての政権交代はありませんでした

首相を選出する権限元老の意志に委ねられていました。

つまり最後の元老と言われた西園寺公望の意思によるものでした。

西園寺ルールでは不可抗力で内閣総辞職に至った場合には、同じ政党から首相が選ばれ、政策に不都合があった場合には、反対党に政権が移るというものです。

このルールにおいては選挙は不要となり、何か問題やスキャンダルがあれば交代のために、政党間の対立攻撃は激化しました。

倒閣を果たした野党が議会の少数派のままで組閣し、与党という有利な条件の下で、総選挙で勝って第一党に躍進するという形式は政権交代の基本形式となりました。

有利な条件というのは、政権交代の度に百人単位で官僚が入れ替わり、自党系の府県知事や警察幹部などが配置され、選挙干渉を行うというものです。

このため、内閣は短命政権でくるくる変わり、民主主義の欠点である金権政治も当然のように蔓延って、国内外問題は山積みなのに、何も解決できない状態が続き、国民の不信感が高まり、軍部独裁へと進んでしまいます。

つまり、結果的客観的評価システム(詳しくはこちらをクリック)が無ければ、民主主義の欠点、金権政治衆愚政治だけがクローズアップされ、民主主義は行き詰まる傾向にあるということです。

評価する内容選択する内容がなければ、必然的に衆愚政治にならざる得ないということです。

選挙に行っても、候補者の所属政党の実績、政策、候補者の政治知識、議会でどのような働きを果たしたのかなどが詳しく分からないと、自らの利権に直結する人物に入れるか、主観的なイメージ・人気・知名度なので入れるしかなくなるからです。

かろうじて政権党が行なってきた政治を評価基準に置くことによって、与党系の議員に入れるのか、野党系の議員に入れるのか考慮の上で判断できるのです。

これが現代日本でも地方首長選挙のように、共産党とそれ以外の相乗り候補の2択状態では、判断基準が全く少なく、そのために投票率も20%台と低く、政治家も政策の勉強をするよりも冠婚葬祭や盆踊り・新年会などに数百回以上顔出すことに励むようになります。

民主主義は何もしなければ、衆愚政治金権政治に極めてなりやすい傾向にあります。

下手をすると国民の信頼を完全に失って、独裁政治へと移行してしまうこともあります。

最低限、政権党の政治に対しての多くの国民による選挙における支持率という評価システムが必要で それによって政治における改善を促すことができるのです 。

古代アテネやローマでも政権党の政治に対しての多くの国民による選挙における支持率という客観的評価システムがなかったために民主主義が失敗し、帝制や王政つまり独裁に至ったということです。

現代日本の民主主義もこの客観的評価システムの機能が低下してしまうと戦前の憲政の常道期における民主主義と同様の状態になってしまうかもしれません。

そうならないのための考察は【民主国家が独裁国家にならないためにはどうすべきか?】の記事を参照してください。(詳しくはこちらをクリックしてくださいね!)

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