全体的・長期的に欲を否定し、無償の愛・自己犠牲こそが最良とすることは、歴史的に見ると、結局は二面性(本音と建て前))を生み、抑圧されたために歪んだ本音の理論が水面下で浸透(抑圧されている分、反作用で、逆に通常をはるかに超えるレベルで)してしまうことになってしまっています。
中世西欧のカトリック全盛の紛争・対立の暗黒時代や現代国際援助の見せかけの、管理されてない支援などから来る実質的新植民地主義的支配の定着などです。
食欲、性欲、そしてそれらを達成するための金銭欲、これらを否定することは生物であるなという不可能な無理難題を押し付けることになります。
そしてこれらの行為は歴史的に公益・社会利益の観点から見ると大きくマイナスに作用してしまっています。
中世西欧の暗黒時代しかり、共産主義しかりです。
公益に貢献した人々がそれに相応して利益を得ないとどうなるか?
ローマの内乱の一世紀を見ればそれが如実に実感できます。
公益の中でも最も重要な要素であった防衛力の中心的役割を担った自由農民です。(防衛力、軍事的なものが最大の公益となるのは今の時代ではかなり抵抗を感じますが、当時の都市国家が乱立、戦乱が絶えない時代では致し方のない状況だったといえます。)
その自由農民が長期間における苛烈なポエニ戦争を経て、その疲労・苦労における報酬・優遇を受けるどころか、逆に貴族階級がその利益を吸い上げ、本来貢献した自由農民は戦乱における疲労に加えて、貴族階級による苛烈な属州支配・搾取からくる安価な作物の流入から没落するというグループ主義の暴走が極まったのがローマの内乱の一世紀の正体です。
一部の特権階級のグループ主義が暴走し、利益を独占した結果、対立・紛争が著しくなる内乱状態となり、結局はそのグループ主義も含めた全ての人々が社会全体混乱の中、とてつもない不幸に見合されることになります。
経済破綻が著しい状況でのフランス革命直前の特権階級の既得権益に対する固執、『平家でなければ人ではない』と言われた平家全盛時代や鎌倉時代の北条得宗家専制しかり、膨張の頂点から奈落に直行し、内乱時代をそれぞれ長期に抱え込みます。
内乱時代は人口が何分の一かになる程に、全ての人々にとって、過酷な時代となります。
つまり、全ての人々がマイナスになるオールルーザー(all loser)的状態となります。
よって、貢献に見合って、相応の利益を獲得するのは、公益を担う者の権利は勿論、義務だともいえます。