所得の再分配のような平等主義政策は弱者救済・貧困防止・治安維持の観点から必要不可欠という意見・考え方があります。
確かに、一理二里ある考え方です。
しかし、それはケースバイケースといえます。
平等や格差における概念は幅広いものがあり、機会の平等と結果の平等、後天的格差と先天的格差、流動的な格差と固定的な格差、社会利益主義的な格差と資本主義万能主義的な格差など様々あり、必ずしも格差が少なく、平等度合いが高いほど、グループ主義を阻害して、争いを少なくしてくれるわけではありません。
それぞれ前者の平等・格差はグループ主義を阻害して、争いを少なくする傾向にありますが、後者においては逆にグループ主義を助長してしまう傾向にあります。
機会の平等、つまりチャンスの平等の要素が薄ければ、より与えられている側が固定的な特権階級を形成し、余り与えられていない側との対立が、不公平性などから多発する傾向になります。
また、幅広い人材を活用できないことから、国力的にも低下してしまうことにもなります。
逆に、結果の平等の要素を強めてしまうと、共産主義的要素が強まり、客観的評価システムも機能低下し、グループ主義的対立・紛争が増加します。
それは共産主義政権を見ればわかります。
特に、共産主義的純度の高いもの程、政権における内紛は著しくなっています。
先天的・固定的な格差は、機会の平等性に反し、幅広い人材供給という面でも望ましくありません。
逆に、後天的・流動的格差は、客観的評価システム機能させるために必須のものであり、その要素が薄いことは客観的評価システムの機能を低下させることに繋がります。
資本主義万能主義的な格差は、大企業や財閥などが力を持ち過ぎることによって、政府が弱体化し、大企業などの富を第一とする影響下に置かれ、客観的評価システム機能が低下し、グループ主義が蔓延り、帝国主義・新植民地主義的戦争や紛争、環境破壊などを生み出します。
逆に、社会利益主義的な格差は、㊀マクロ的・国レベルの観点で見ても、資本主義万能主義的格差によって超大国になった国々を抑え、世界の主導権を握るためにも必要不可欠なものと言え、㊁ミクロ的・個レベルの観点で見ても、報われにくく、迫害される場合が多い社会利益主義者を保護するためにも同様に必須のものとなります。
社会利益主義的な格差の㊀マクロ的・国レベルの観点について詳しく考証していきます。
強力なひとつだけの世界政府を樹立してしまうと、他の政府との比較しての客観的評価やベンチマーキング的手法が取りにくいことから、緩やかな世界政府や国際機関の下、多数の国家が存在することが望ましい形態となります。
その中で、経済的・科学技術的に国力が向上していく国々が主導権を握り、他国もそれら国々を当然ながら見習う傾向になります。
北欧諸国の様に、難民問題や環境問題などにおいて社会利益主義的政策をとる国家は、世界的な報酬や支援を客観的評価システム下で国連などの国際機関を媒介してされなければ、国力的に大きな逆作用の不利益を受けてしまいます。
実際的に、スウェーデンをはじめとする北欧諸国は治安悪化や財政赤字、犯罪率の増加の問題等で大きく国力を低下させています。
一方、自国の利益を追求する資本主義万能主義的・新植民地主義的な国により世界的主導権を握られると、他国もそれらに強く誘導されてしまい、それらの負の要素が、世界的危機をいずれは限界レベルまで蓄積させてしまうリスクが高くなってしまいます。
つまり、社会利益主義的な行為をした北欧諸国に、他国と格差をつけた報酬や優遇を与えることによって、アメリカや中国に負けない国力の向上を維持させ、世界的主導権を握らせて行くことは、未来の破滅的危機を未然に回避することに繋がります 。
この㊀マクロ的、国レベルにおける社会利益主義的な格差は、自国の利益だけを追求するグループ主義的な行為を抑制し、世界的利益の保持にも大きく寄与して行くことになります。
次に、社会利益主義的な格差を㊁ミクロ的・個レベルの観点から詳しく見ていきます。
社会の利益主義者は、その行為に対する利益的回収が難しく、強固なグループ主義と対峙する傾向にあることから、社会的にも経済的にも精神的にも身体的にも追い込まれ、疲労し、苦境に立たされることが必然的に多くなります。
よって、マクロ的な国レベルと同様に、社会利益主義的格差を客観的評価システム下で適切に付与していかないと社会の利益主義者が力を持ち、主導権を発揮できるのは非常に困難になります。
巨大な混乱期や危機時のみ活躍し、彼らの働きによってもたらされた安定期には、グループ主義者により追いやられる、正に使い捨ての奴隷的待遇になりかねない環境と言えます。
グループ主義者に主導権を握らせずに、社会利益主義者が奴隷的環境から脱し、主導権を獲得するためには、社会利益主義的格差は極めて重要な役割を担っています。
スウェーデンが以前行った難民政策は社会利益的に極めて素晴らしいものでした。
しかし、それを一国単位でするのは極めて負担のあるもので、それによってスウェーデンは大きな国力低下を起こします。
本来ならば、これらの問題は世界的に対処しなければならない事項で、国際機関が全面的に受け持つか、受け入れた国に対して支援なり、報酬を与えないといけません。
つまり、公益に沿った格差には、後天的な格差、流動的な格差、社会利益主義的な格差などがあり、そして、公益を阻害する格差には、先天的格差、固定的格差、資本主義万能主義的格差などがあるということになります。
赤色の格差をリセットはさせるためには平等主義政策は大きな意味合いを持ち、必要不可欠な要素となるでしょう。(日本の戦後改革における財閥解体・農地改革など)
しかし、それらが達成された後もその政策を深く追及し、恒常的に継続した場合は凄まじい対立・争い、内紛の嵐に巻き込まれるようになります。(フランス革命、ソ連・中国の純粋共産主義体制など)
格差は客観的評価システムが機能するためには必要不可欠な要素であるからです。(功績のあった者、スキル・技能を持つ者を評価し、報酬や資格を与えるシステムなので当然のことながら、それを達成・獲得できた者とできてない者との二者間における待遇的格差はなければ、客観的評価システムの存在価値や機能状態がほぼ無意味なものとなってしまいます。逆にその二者間の格差が大きければ大きい程、客観的評価システムの存在価値や機能状態が大きく意味あるものとなります。)
多数の人々の集団により形成される社会においては、客観的評価システムがグループ主義を制御する働きを主として担っています。(詳しくはこちらをクリック)
格差がなくなれば当然のことながら、客観的評価システムが機能しなくなり、グループ主義を制御できなくなり、対立・争いの種が凄まじい勢いで増産されるということです。
格差は格差でも赤色の格差でなければよいのです。
緑色の格差であれば、全体の平均水準を底上げし、弱者救済・貧困防止・治安維持の役割を自然に果たす役割をもっています。
それは、客観的評価システムが世界比較的に見て、上位的に機能している国家(北欧➡詳しくはこちらをクリック、シンガポール➡詳しくはこちらをクリック)を見ていただけるとわかります。