お金は所詮道具です。お金の画像

お金は人を幸せにするのか?それとも不幸せにするのか?という議題は、どのようにその道具を活用すれば人は幸福になれるのか?という議題を追及していくうちに自然と答えがこぼれ落ちていくと思われます。

よって、先ずはどのようにお金を活用すれば人は幸福になれるのか?という議題を追及していきます。

Ⓑの議題を達成するには大きく二つの要素が必要になってきます。

どのようにお金を活用すれば人は幸福になれるのか?

⑴社会利益・公益の貢献に比例する形で報酬として与えられているか?(giveの要素)報酬の画像

⑵報酬としてのお金が与えられた本人を額に比例して幸福にしているか?(useの要素)お金を使う画像

⑴のgiveの要素については社会利益・公益に沿った客観的評価システムの質・量の整備によって達成していきます。(詳しくはこちら

⑵のuseの要素について詳しく考証していきます。

いくら社会利益・公益の貢献に比例する形で報酬として与えられても、それを有意義に本人が自身の幸福のために使用できる環境でなければなりません。

健康のために、快適で安全な住居のために等人はさまざまな理由でその報酬のお金を利用して獲得しようとします。

しかし、適正なエビデンスに裏打ちされた客観的データーが付随せず、ただ主観的、繰り返し的インパクトの広告を主とする現在の商品全般における消費者の選択肢は、客観的判断基準がない場合の政治における衆愚政治と同様に狭められ、有益な選択が極めて難しくなります。

いくら客観的評価システムの質・量の整備し、⑴の要素をクリアしても⑵の要素が今のまま不十分であれば、正に片手落ちの状態となります。

⑵の要素についても、それぞれの目的に沿った客観的評価システムの整備が必要である思われます。(詳しくはこちら

金銭的報酬を得るには時間・労力を必要とします。下手をすると労力を集中し過ぎて健康を害してしまう場合もあります。

その報酬が、社会的貢献に見合って配当されなかったり、有意義に活用できないということは当然、相対的に不幸な状況を生み出すことを意味してきます。

繰り返し言いますが、お金は所詮道具です。

ひとえに人を幸せにするかどうかはその使い道にあるといえます。

そのネックには⑴⑵の要素とも客観的評価システムの整備にあると思われます。

 

 

 

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