なぜ古代アテネでは民主主義は続かず、近代イギリスでは根付き、世界各国に普及したのか?🙄

この謎を解く鍵は、国力の増大にあります❗

国力の増大がなければ、他国に侵略・干渉を受けますし、逆に言えば国力が増大すれば大抵の国が右倣え右的に模倣する傾向にあります。

古代アテネでは民主主義下において国力が落ち、対照的政治形態のスパルタの影響下に置かれますが、イギリスでは国力が飛躍的に増大し、近代世界において覇権国として君臨します。

これまたなぜでしょうか?😓

この謎を解く鍵は客観的評価システム詳しくはこちらをクリック)にあります❗

民主主義のマイナス面として、先ず金権政治腐敗政治などが挙げられますが、実際にイギリス民主主義の立役者のウォルポールは総選挙の度に政府機密費を流用して買収・接待に励み、官職を餌に使って、有権者取り込みを図ることも多くありました。

ただ、それらの欠点を差し引いても、民主主義から派生する政権党の政治に対しての多くの国民による選挙における支持率という結果的客観的評価システムプラス面は大きいものがありました。

しかし、これがない状態民主主義が進んでしまうと、その例として、フランス革命後の共和制ドイツのヴァイマル共和制大日本帝国の憲政の常道期などがありますが、これらは全て衆愚政治を経て、独裁政権に至ってしまっています

フランスでは政治的諸党派が四部五裂して、互いに対立し、安定した政治体制が樹立できなかった状態で、共和制の後 、2度も独裁政権である帝制を経由します。

ドイツのヴァイマル共和政では、大統領の指名のみを基礎とする大統領内閣が継続し、議会政治の空洞化が起き、ヒトラーのナチス独裁に至ります。

日本の憲政の常道期の政党政治では、一度も総選挙の結果に基づいての政権交代はありませんでした

首相を選出する権限元老の意志に委ねられていました。つまり最後の元老と言われた西園寺公望の意思によるものでした。

西園寺ルールでは不可抗力で内閣総辞職に至った場合には、同じ政党から首相が選ばれ、政策に不都合があった場合には、反対党に政権が移るというものです。

このルールにおいては選挙は不要となり、何か問題やスキャンダルがあれば交代のために、政党間の対立攻撃は激化しました。

倒閣を果たした野党が議会の少数派のままで組閣し、与党という有利な条件の下で、総選挙で勝って第一党に躍進するという形式は政権交代の基本形式となりました。

有利な条件というのは、政権交代の度に百人単位で官僚が入れ替わり、自党系の府県知事や警察幹部などが配置され、選挙干渉を行うというものです。

このため、内閣は短命政権でくるくる変わり、民主主義の欠点である金権政治も当然のように蔓延って、国内外問題は山積みなのに、何も解決できない状態が続き、国民の不信感が高まり、軍部独裁へと進んでしまいます。

つまり、結果的客観的評価システムが無ければ、民主主義の欠点、金権政治衆愚政治だけがクローズアップされ、民主主義は行き詰まる傾向にあるということです。評価する内容選択する内容がなければ、必然的に衆愚政治にならざる得ないということです。

選挙に行っても、候補者の所属政党の実績、政策、候補者の政治知識、議会でどのような働きを果たしたのかなどが詳しく分からないと、自らの利権に直結する人物に入れるか、主観的なイメージ・人気・知名度なので入れるしかなくなるからです。

かろうじて政権党が行なってきた政治を評価基準に置くことによって、与党系の議員に入れるのか、野党系の議員に入れるのか考慮の上で判断できるのです。

これが日本における地方選挙のように、共産党とそれ以外の相乗り候補の2択状態では、判断基準が全く少なく、そのために投票率も20%台と低く、政治家も政策の勉強をするよりも冠婚葬祭や盆踊り・新年会などに数百回以上顔出すことに励むようになります。

民主主義は何もしなければ、衆愚政治金権政治に極めてなりやすい傾向にあります。

下手をすると国民の信頼を完全に失って、独裁政治へと移行してしまうこともあります。

最低限、政権党の政治に対しての多くの国民による選挙における支持率という評価システムが必要で それによって政治における改善を促し、国力を増大させることができるのです 。

アテネやローマでは政権党の政治に対しての多くの国民による選挙における支持率という評価システムがなかったために、グループ主義が蔓延り、国力が衰え民主主義が失敗し、帝制や王政つまり独裁に至ったということです。

 

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