さまざまな自己啓発本を読んで、感じるのは多くは宗教的要素・背景に関連していることです。
七つの習慣のスティーヴン・コーヴィー氏はモルモン教、鴨頭嘉人氏は倫理法人会などです。
自分自身は常に宗教も含めて特定の思想・団体とは距離をもって生きて来ました。
誤解をせずに頂きたいのは、それは決して宗教などの信仰を否定することを意図していません。
どの宗教・思想に対しても客観的視点・立場にいたいという自分自身の生き方の一つの方向性の選択の結果にすぎません。
そうすることによって、全ての人々が幸福になれるシステムを公平性をもって追及できるのではないかと、自分自身の単なる個人的なこだわりです。
そのため、長い間において自己啓発本に関しても特定の思想・団体同様に、距離をもって対処していました。
しかし、自分自身の職業・経営的に自己の内面を大きく変容・改善しなければいけない必要性が生じる出来事が起きたために、今まで禁忌とまでは言わないまでも、極力距離を置いてきた自己啓発という分野に足を踏み入れざるを得なくなりました。
きっかけは本というより、youtubeです。
藁にも縋る思いで『叱り方』というキーワードで検索したときに、youtube上にトップに出てきたのが、鴨頭嘉人氏の動画です。
日常における承認、聞き力、話した言葉が未来を創るなど自分にとっては新鮮そのものでした。
客観性を常に心掛け、感情を抑えて生きてきた自分にとって、主観力の強さ・重要性を再認識するきっかけでした。
カラマ・スッタでのブッダの『人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。ただ、よく吟味・熟考した上で、理性と経験によって、承認できること・良いこと・自他共にまた世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。』という言葉が自分は大好きです。
一人一人の経験と理性の下に吟味・熟考した意思や考え方が交差し、修正し、補填し合うことによって、初めて客観性が生まれます。
つまり、多数の人々の主観的な考えが交差し、修正し、補填し合うことによって、客観性が構成されるというこです。
しかし、それは個のレベルにおける各自めいめいの自由意志のもとでの多種多様で強力な主観の力があってこそ、形成される客観性の質の高さがより充当されることを意味してきます。
それ迄の自分は客観性を慮る余りに、自由意志のもとでの主観の力を抑圧し過ぎてきた傾向にありました。
しかし、それは社会における自分自身の影響力、アウトプットを大きく制限してきたことに気づきました。
強い願望を持ち、自由意志のもとでの思いを貫く意思力をめいめいが持たずに、自然の流れのままに社会の表面的な通説に考えを委ねてしまうことは、健全な客観性が形成されないことに帰結します。
よって、自己啓発分野においても距離を持たずに、社会におけるアウトプットを強く出せる自分自身に変容させるために、自己のアイデンティティ・方向性を大切にしながらも、さまざまな自己啓発本を取り入れていこうと決断しました。
その際、注意したことは、一つの考え方・思想にのめりこんだり、委ねないようにしたことです。
その方が正直、楽であり、恍惚感・安泰化感を感じ、何より悩まなくてもいい、全てその提唱者の言葉のままに動けばいいからです。
しかし、そうすることは当然のことながら、マクロ的には健全な客観性が形成されず、主観性が幅を利かすことにつながります。
個のレベル・ミクロ的な主観性はともかくマクロ的な主観性は歴史的に見て、大きく公益を損なう働きをしています。
自己啓発本を取り入れるにしても、10のうち2か3位にし、アンチの意見も1か2取り入れるとして差し引き計10分の1程をさまざまなものから吟味し、自分にマッチングするものをセレクトするようしました。
これを10分の1の法則と勝手に名付けました。
例えば、鴨頭嘉人氏に関するものの場合、彼自身のマクドナルドなど経験に裏打ちされた学びなどに関しては積極的に取り入れていく一方、倫理法人会的要素が強い分野においては自分自身のこれまでの生き方・方向性の中核を保持するためにも,余り深く踏み入らないなどです。
他の自己啓発本(七つの習慣、アドラー心理学etc)においても各論的に自分なりの対処法を詳しく述べていきます。