youtubeのタイピー日記『激おこ子猫(でんちゃん)』動画を見たのは、最近のことです。
その頃には、もう亡くなられていたと思うと寂しい限りです。
ネズミ捕りの接着剤まみれの子猫を保護し、ケアしていくというほのぼのとするとても心温まる動画シリーズです。
このタイピー日記に関しては多くのファンの方々がいる一方で一部のアンチの方々がいるのも承知しています。
ただ、客観的に否定できないこととしては、一生懸命でんちゃんは生きようとし、その姿にたくさんの人が癒され、勇気づけられたということではないでしょうか?
自分自身のことになり恐縮ですが、数十年前、半分ニート化していた多浪生として、完全に出口のない大きな壁にぶつかり、一歩も前に進めない時期がありました。
とある私立大学の図書館に潜り込み勉強をし、気晴らしに大学のグランドのフェンス外の周囲を散歩しているときに、くさむらに三匹の子猫が段ボールに入れられ捨てられているのに遭遇しました。
人通りがほとんどない所なので、飼い主だった人もひそかに捨てられたのでしょう。
猫を今まで飼ったこともなく、多浪して多大なる負担と苦労を両親にかけている身としては何もできません。
せめてと思い、少量のヨーグルトとかつおぶしを紙トレーに入れ、そぉーと置いて来ました。
少し近づいただけで、まさに激おこ子猫のでんちゃんの様に、「シャーと」威嚇されましたが、不思議と嫌悪感は感じずにその生きる必死さを見て、生きるための大きなエネルギーを与えてもらったように思います。
不思議なもので、そこから自分自身の人生も少し方向性を転化させることで、前進するようになりました。
些細な出来事のように見えますが、自分自身にとっては無ければ、もしかすると未だにニートのような生活をしていたのかもしれません。
激おこ子猫のでんちゃんの数か月の歩みとそれを見た多くの人々に対する癒しと勇気づけの効果は、自分自身の短時間のこの様な小さな出来事に比べるとはるかに大きなものであると思います。
どんな生物であっても、人であっても皆一生懸命必死に生き、役割と使命を全うしているような気がします。
どんな偉人とされる人々も、水面下ではたくさんの人々の支えの下で偉業を達成しています。
歴史は突出した能力をもつ偉人が創り出すものというよりも、一生懸命必死に生きる名もない生物や人々の集合体のような気がします。
激おこ子猫のでんちゃんの数か月の歩みは多くの人々の人生に大きな+(プラス)の要素を与えたと思います。
最後になりますが、でんちゃんの冥福を心からお祈りします。