漫画『鬼滅の刃』を読んでの記事でも述べていますが、『約束のネバーランド』を読んで一番印象に残ったのは172話「自由」です。

しかし、最近掲載された特別番外編の「母の決意」も同じ位心に残りました。😀

①「母の決意」の要約

脱走者を出してしまったにも関わらず処分を受けずに、逆にイザベラがグランマに昇格したことに対して他のシスター達の間では批判的に話題にされています。

そんなイザベラが憎いシスター達は、イザベラを蹴落とそうと目を光らせています。

グランマ就任から1か月しか経たないのに、飛躍的に子供たちの成績を上げたイザベラは鬼から再評価されます。

しかし、脱走者を出したことで警戒もしている鬼は、シスターのマチルダにイザベラを監視させます。

特別怪しい動きを見せないイザベラに対して、イザベラを蹴落とそうとするマチルダは他の3人のシスター達と協力し、罠を仕掛けようとします。

捏造した通信記録を持って、誰もいないはずのイザベラの部屋へ向かったマチルダでしたが、そこにはイザベラと3人のシスター達全員がいました。

全てイザベラにバレていたのです。

4人のシスター全員が殺されてしまうと恐怖に震えます。

しかし、ここでイザベラはシスター達の全く意表を突く形で、GF農園を潰す提案をし、その計画に加担するようにヘッドハンティングします。

当然のことながら、シスター達はそんな無謀な作戦には乗れず、どうせ処分を受けるのであればイザベラを告発する方が賢い道と主張します。

激しく反発するシスター達に、イザベラは、果たしてそうなのかと問いかけます。

自分を告発して生き延びたとしても、次の刃は誰に向けるのかと

4人のシスター達は、自分達が相互に刃を向ける構図をそれぞれが想像します。

イザベラは言います。つまり、無限地獄だと

それに対し、シスターの一人が、それが何だ、地獄だなんてわかっている。生きる道はそれしかない。自分が生きるために今まで全てを捨ててきたと反論します。

しかし、イザベラはシスターたちが生きるために生み、捨てた子供達は自分が育て、今も生きていると言い、子供達の写真を見せます。

知らない、関係ない、自分が生き延びるために産んだ道具だとマチルダは必死に思い込もうとします。

それなのにマチルダの目からは涙が洪水のように流れ出ます。

イザベラはさらに問いかけます。

出荷のない世界をつくりたくないか、友達を蹴落とさずに済む世界に、諦めずに捨てなくていい世界に変えたくはないかと

そして、各自が生き延びるために相互に競わせることは鬼達の思う壺で、鬼達は私たちの分断を望み、結束を恐れていおり、私達が恐怖に屈し己の利益のみに囚われている限り私達はバラバラで、手中で争っていると彼らの支配は容易になってしまうと訴えます。

刃を向ける相手が違うと、私達は団結しなければならない。不屈と団結こそが勝利の鍵で、私は運命を変えたい。その為に4人の力を貸してほしいと頼みます。

それに対し、マチルダが先ず、賛同し、他の3人のシスターも後に続きます。

その後時間が経過し、最終回以降の世界に場面が移ります。

そして、イザベラが望んだ子供たちが幸せに生きる世界は実現されたことを4人のシスター達がイザベラの墓に報告しているところで話は終わります。

②自分の考察

下線部がこの話の中心的重要ポイントだと感じました。

人間が人間を支配する植民地支配においても、必ずと言ってこの分割統治が行われています。

ベルギーのルワンダ植民地支配においては少数派であるツチ系を優遇し、多数派のフツ系を支配させています。

イギリスのスリランカ植民地支配においても少数派のタミル人を行政府官吏に重用して、多数派のシンハラ人を統治させる「分割統治」を行っています。

イギリスはインド植民地支配においても、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立を利用して、個別に対応することによって独立運動を妨害し、それ以外にも藩王国間の対立や、カースト間の対立をあおることによっても分割統治をしています。

またスーダンでも同様の行為がされており、世界各地全て挙げようとすると切りがありません。

これらの理不尽な支配に関して、不屈と団結の精神で打倒していく物語はよくあります。

しかし、『約束のネバーランド』の特筆すべきところは、主人公サイドが支配体制の敵対勢力ピーター・ラートリーや鬼達がしてきたことに関しては『全部許せない、憎い』としながらも『殺して解決』で終わらせたくない、運命や境遇だけじゃなく憎しみや恐怖からも囚われたくない『自由になりたい』、ラートリー家が食用児(主人公サイド)を犠牲にして千年守られた人々もいる、ピーター・ラートリーも彼の正義で二世界を守ってきた、生まれた時から運命を背負わされているのは皆同じ、『自由になろう』私たちは皆囚われている、でも世界は変わるもう変えられる、千年の苦しみを今終わらせよう、『一緒に生きよう』と投げかけます。

つまり、この不屈と団結の精神を支配者層にも延長させているところです。

これは机上の空論と言われれば、その通りかもしれません。

現実社会においてはこの様な対処方法が正しいのかさえも不確定です。

しかし、机上の空論である漫画の世界においては、少なくともこの様な結末であってもいいのではないかと・・・

あくまでも個人的な見解ですが、そう思います。

支配者層が植え付けた対立の構図を採るか、自分達が育んだ不屈と団結の精神を採るか

残念ながら、実際的な現実社会ではこれらの対立の構図は温存され、植民地独立後において、それぞれがルワンダ内戦、スリランカ内戦、インド・パキスタンの対立、スーダン内戦などの凄まじい紛争・対立を生み出してしまっています。😥

憎しみや恐怖から囚われず『自由になる』ということが極めて困難であることが実感されます。

このブログのトップページの冒頭にある

このブログは 人物や組織を極力非難することなく 、否定することなく、どうすれば全ての人が幸せになる 社会のシステムを 構築できるかを歴史的観点から模索し追求していく ことを目的として立ち上げました。青い鳥の画像

人に責任を負わすのではなくシステムにその責任を負わせる
もちろんシステムを構築するのはであり、そういう意味では結局はその責はに帰すものとなります。
しかし、を非難してしまうと対立、争いの元になります。改善するどころか争いのためにマイナスの結果となってしまうことは歴史上よくあることです。
よって、ここでは基本的に人に責を帰するのではなく、システムにその全ての責任を追わせるものとします。
人かシステムかということは鶏か卵が先かの問題とよく似てます。鶏と卵の画像
卵に全ての責任を負わせたとしても結局はそれを生み出した鶏に責任があることになります.
しかし、その責任は1人物や1グループに負わせるのではなく、システムを生み出す全ての人々の責任とすることによって、対立や紛争のマイナス的結果を回避できます
全ての人々を幸せにするそんな夢のようなシステムを追求するSystemDreamerというブログ名はその追及(Dreaming)目的から由来します。幸せの画像

という文言は、この極めて困難な憎しみや恐怖から囚われず『自由になる』という課題を達成するための一つのとっかかりになればと思い、トップページの冒頭の持ってきています。

この課題を本当に達成させるには、世界中の人々の不屈と団結の精神が育まれることが必要不可欠です。

机上の空論で、不可能なことかもしれませんが、夢見ることは誰にでもできます。

全ての人が夢見るとき、現実化するのではないでしょうか?

そんな未来がくることを切に願っています。😀

 

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