資本主義万能主義的利益や格差をなくすにはどうすべきか?
資本主義万能主義的利益や格差の欠点には、大きく分けて二つの要素があります。
①虚業重視の要素と②グループ主義的要素です。
①の改善に関しては、主として第3段階目の条件的客観的評価システム(代表的なものがドイツのマイスター制度です。これによってドイツは熟練した技術者を多く育成し、ミッテルスタンドと呼ばれる技術水準の高い中小企業を形成しています。ミッテルスタンドは大半はものづくり企業であり、ドイツ経済のエンジンとも言われ、ユーロ経済圏を牽引する世界一の黒字国であるドイツの稼ぎ出す貿易黒字の七割を占め、ドイツ経済を文字通り支えています。詳しくはこちらをクリックしてくださいね)の整備が非常に有効に作用します。
実業的製造業やクリエイティブなサービスなどで国際競争力が高い国(ドイツ、スイス、北欧諸国、アメリカetc)では、ほぼこの制度もしくはこの制度に本質的にかなり近い制度が整備されています。
②の改善に関しては、主としてフィードバック的改善作用のある結果的客観的評価システム(詳しくはこちら)の整備が非常に有効に作用します。
条件的客観的評価システムだけであると所詮社会の利益における予測評価であり、ほぼ一回しか行われないものでありますから一回クリアしたものの中でグループ主義的腐敗が進行してしまいます 。
それを速やかに、平和裏に防ぎまた解除する作用は歴史的に見て、結果的客観的評価システムしかありません。
第二次世界対戦後のイギリスにおいては、階級格差・教育格差も大きく、その中で荒廃した基幹産業を労働党政権は国有化して行きますが、その基幹産業の労働組合が国のインフラを支配して、ストを多発して大幅賃上げをもぎ取り、二桁以上のコスト・プッシュ・インフレを引き起こします。
国民の勤労意欲も内外の投資意欲も減退し、英国病という経済停滞に陥り、1976年には財政破綻し、 IMF(国際通貨基金) から融資を受ける羽目にまでになりました。
選挙権が拡大されることにより、(ジェントルマン層のグループ主義)➡(労働組合によるグループ主義)に徐々に移行していき、それらの労働組合はクローズドショップ制により、組合幹部が組合員に対して大きな権力を持ち、ピケッティングや非公式ストなどを繰り返し、非民主的な管理状態で、グループ主義を追求していきました。
しかも、1981年には労働党党首選において、半分に近い票を組合票と定め、公(おおやけ)の政党をも非民主化したグループ主義が暴走して、勢力下に治めようとしていきます。
そのグループ主義の暴走を止めたのが、民主主義から派生した結果的客観的評価システム(詳しくはこちら)です。
これらの労働組合に牛耳られた労働党の行う政権に対して、国民の大多数による得票率という評価が低下して、その結果政権を失いました。
労働党に代わり、保守党のサッチャーによる大改革が行われました。
ストを行う場合は組合の投票による決議を必要とし、非公式ストの場合は組合員費の支出は凍結できるように法律を改定し、労働組合の民主化を進めました。
固有企業を民営化し、減税や規制緩和を行い、市場原理・利潤原理を取り入れて、経済の再建を目指しました。
しかし、不況は改善されず、失業者数はむしろ増加し、財政支出も減りませんでした。
それは至って当然とも言える結果でした。
アダム・スミスの古典的な理論に戻っただけで、元来、資本主義自体には元々強固な客観的評価システムの作用・機能は有りません。
それを補うために、民主主義から派生した結果的客観的評価システムの作用・機能を包有する政府のコントロールが必要とされてきますが、これらが戦後のイギリスのように、非民主的になってしまった労働組合に支配されたり、同様に日本の官僚の暴走によって生み出された、非民主主義的である特別会計の問題などが生じると、民主主義から派生した結果的客観的評価システムのコントロールの作用・機能が正常に働かない状態となってしまいます。
かといって、政府のコントロールを取っても、以前のような資本主義オンリーの、客観的評価システムのほとんど効かない状態に逆戻りするだけで、問題は全く解決しません。
大きな政府と言われていても、民主主義から派生した結果的客観的評価システムが正常に機能している北欧諸国や独自の結果的客観的評価システムを適切に作用させているシンガポールにおいては、それらの問題点はほぼ解決されています。
実際、イギリスが英国病から脱出し始めるのは、サッチャー政権ではなく、メジャー政権からでした。
メジャー政権では、数値指標による業績管理という結果的客観的評価システムの導入がなされて行きます。
政策立案以外の執行部門の委託を受けたエージェンシーに対して、契約した結果が出なければ賠償責任を負わせ、出れば結果に合わせて報酬を与える結果的客観的評価システムです。
これによって、先進国中一人当たり GDP が最下位であったイギリスは、過去最長期間における安定成長を続け、上位に返り咲くことになります。
総括して纏めていくと、英国病を生み出したのはグループ主義でその暴走を止めたのが、民主主義から派生した結果的客観的評価システムで、弱ったイギリスを回復させ英国病から脱しさせたのが数値指標による業績管理という結果的客観的評価システムであることが分かります。
同じ様な現象がアメリカでも起きています。
第二次世界対戦後、1950年代までは世界経済の中でアメリカ一人勝ちな状況でした。
しかし、徐々にアメリカ製品が他の国々の製品との競争に押され始めます 。
1970年代にはアメリカ製品の輸出が頭打ちになり、逆に他国からの輸入が増加したため、南北戦争を克服して工業化に成功し、黒字に転じてから100年ぶりに貿易収支が赤字に転じます。
1980年代からは莫大な財政赤字と貿易赤字が併存した双子の赤字の状態に陥ります。
アメリカ製品が押され始めた理由、つまり貿易収支が100年ぶりに赤字に転じてしまった原因は、カルヴァン派のマイナスの要素、資本主義万能主義・自由放任主義の方向性です。
資本主義経済に対して、自由放任的に対応すると、自然な流れで大企業を中心とした成熟した寡占体制となり、徐々に競争力が失われてしまいます。
寡占度を高めた基幹産業におけるマークアップ・プライシングによる価格設定はインフレを高め、さらに対外競争力が低下し、アメリカ製品が売れず、当然のことながら景気が沈滞し、スタグフレーションを引き起こします。
景気回復のための従来的な需要増加を目的としたケインズ政策的財政出動も、北欧のように腐敗指数が最良の順位で民主主義から派生する結果的客観的評価システムの機能が十分働いている政府下で行われるのならともかく、政治資金制度がほぼ自由放任でマネーゲーム化した民主主義下で腐敗指数が先進国中最悪とも言える順位であるアメリカの政府による財政出動は効果的な作用を及ぼしませんでした。
供給力を強化することを主としたサプライサイド経済学的な政策も、非現実的なセイの法則が成立する必要があり、その法則が成立するのは極めて限定的なものでした。
マネタリスト的な金融緩和も、短期的視点で言えば効果はあっても、カンフル剤や対症療法的なもので、根本療法的なものでないため、長期的視点で見ると、逆に反動によるリーマンショックなどの大きな恐慌を呼び込むことになってしまいます。
自由放任的な政治資金規制下での腐敗指数が悪い政府下でのケインズ政策が不十分もしくはマイナスの要素の結果的客観的評価システムが効いた状態とすれば、反ケインズ的・小さな政府を指向するマネタリズムやサプライド経済学的な政策は結果的客観的評価システム自体の作用を極めて少なくすることを意味します。
大事なことは質・量ともに充実・整備された客観的評価システムを実施することなのに、質の悪い結果的客観的評価システムを取るか、はたまた結果的客観的評価システムがほとんど効かない状態を取るかに議論は終始してしまっています。
従来通りのケインズ政策を選択したカーター政権も自由放任主義・小さな政府を指向したアダム・スミス的先祖返りの政策を選択したレーガン、ブッシュ政権も当然のことながら両方とも失敗します。
レーガン、ブッシュ政権に至っては莫大な財政赤字を含む双子の赤字状態になります。
しかし、この莫大な財政赤字を黒字に転換させる政権がアメリカに現れます。
それがクリントン政権です。
クリントン政権では、それまでの共和党政権の小さな政府を指向することでもなく、ニューディール以降の民主党の伝統的なケインズ政策を実施したわけでもありません 。
NPR 、国家業績評価という結果的客観的評価システムの一種を導入して、国家改造を行う過程において様々な政策、財政出動をして行きます。
比較的大きな政府の中、政府が民間の経済活動に積極的に関わり、雇用の創出をしていくという点では伝統的なケインズ政策とはほぼ変わりません。
しかし、そこに結果的客観的評価システムを直接効かせるか、そうでないかによって両者は大きく異なっています 。
NPR によって行政職員の意識は大きく変化し、目的を明確にし、業績測定などにより、インセンティブと行うサービスに対する説明責任を持ち、自発的な行動が見られるようになります。
その実施過程の中、ベンチャー企業支援や IT 産業発展の環境整備、次世代自動車開発などに補助金や軍が蓄積してきたハイテク技術を投入するなど、民間の経済活動への政府の介入に慎重だった共和党政権に対して、クリントン政権は政府の産業介入を鮮明にし、自由放任主義の方向性を大きく方向転換しながら、昔ながらのケインズ政策のように需要増加ありきのものではなく、明確な目的の下、実効性・効率性を重視した政策を進めて行きます。
その結果、アメリカ経済はアメリカ史上最長の景気拡大・株価上昇を記録し、失業率もインフレ率も低下し、30年近く続いていた政府の財政赤字もクリントン政権末期には解消されました。
ジャーナリズムはこの繁栄の下のアメリカ経済をニューエコノミーと名付けます。
この言葉はベトナム戦争以降の長い経済・社会の停滞・低迷を脱し、自信を取り戻した人々の心に刻まれました。
その背景には IT 革命に代表される技術革新の進展により、アメリカ経済の体質が変わり、強いアメリカ経済が復活したという認識にありました。
このレーガン、ブッシュ政権における小さな政府・自由放任主義的政策が失敗に終わり、クリントン政権における結果的客観的評価システムの一種を行政の業績に直接作用させる政策が効用し、アメリカ経済が奇跡の復活を成し遂げた現象は、正にイギリスが英国病を脱する過程における 現象と共通します。
小さな政府・自由放任主義のサッチャー政権下では英国病からは脱することができなかった中で、結果的客観的評価システムの一種を作用させたメジャー、ブレア政権下では、歴史上最も長い期間における安定成長を続け、先進国中一人当たりの GDP が最下位であったイギリスは上位に返り咲き、英国病を脱出することに成功している流れが、アメリカにおけるものと非常に類似しています。
次に独裁国家でありながら、腐敗度が世界最良レベルに常に位置している特殊な国家であるシンガポールを題材に見ていきます。
シンガポールは戦後、隣国マレーシアのルック・イースト政策に先駆けて、日本をモデルに、日本が官僚主導の開発主義体制から日本株式会社と呼ばれたように、国というより、一つの株式会社と呼ばれるような産業の隅々まで、国・官僚のコントロールが行き届いた形態を創り上げました。
独裁国家・官僚主導の国家、普通であれば、官僚を中心としたグループ主義が蔓延って、腐敗が蔓延してしまうことになります。
しかし、官僚機構に関する調査でアジアで最も官僚の弊害が少ない評価を受け、腐敗認識指数も世界的に最良のレベルを保持しています。
これを成さしめているのは独裁国家としては異例的に整備されている客観的評価システムです。
まず、シンガポール特有の客観的評価システムとして挙げられるのは、結果的客観的評価システムの一つである公務員給与が GDP と連動しているシステムです。
世界恐慌になった21世紀初頭のリーマンショック時には、 GDP が急落したために公務員給与が大幅に減額され、大統領・首相・閣僚レベル・官僚のトップ・国会議員なども2割近く削減されました。
逆に前年比で15%ほど GDP が増加した年には、上級公務員には8ヶ月分の GDP ボーナスが支給されました。
民間企業の業績とGDP が伸びた時は高い給料が支給され、下がれば支給される給料が減額されます。
そのため、シンガポールの官僚は民間企業の業績を上げ 、GDP を伸ばすために必死になります。
他国と比較すると官僚は非常に高い給料が与えられ、30代前半で2000万以上の給料を手にし、40代半ばでは1億円を超える者もあり、このことがシステムを十分に機能させることに大きく寄与して行きます。
同じシステムをシンガポールを真似て導入した中国においては、官僚の給料が極めて低いため、客観的評価システムの方向性よりも、得る利益が莫大な不正による利益追求の方向性に流れてしまい、機能不全どころか、ゴーストタウンの出現や環境破壊などプラスの作用よりもマイナスの作用の方が大きく、逆効果になってしまったのとは対照的と言えます。
第二に挙げられる客観的評価システムは、条件的客観的評価システムの一つであるメリットシステムです。
独裁国家の特有の性質として、政治家・官僚などのパブリックサービスの職業の者が、民主国家と比較すると圧倒的に権限を持ち、重要視されています。
そのため、パブリックサービス分野の人材育成やピックアップに関しては、非常に特化している傾向にあります。
シンガポールにおいても、最も有能な人材をパブリックサービスに就かせるべきだという思想に基づき、人材をその分野に集中させるための待遇面や育成システムが充実しています。
これは民主国家が場合によっては、素人的、ほとんど政治的知識のない大衆政治家が乱立し、時には政治的トップに立ってしまうのとは対照的であり、独裁国家が安定した民主国家よりも 優れている唯一の事柄と言えます。
政治分野は当然として、他の分野においても、シンガポールは人材こそ最大の資源の考えの下、充実した奨学金制度などで国内外から優れた人材を確保します。
大学の研究者や学生の半数をはるかに超える者が国外出身者になり、研究所のトップに欧米のトップクラスの研究者が据えられて行きます。
それらが欧米の企業の拠点をシンガポール誘致するアドバンテージになる等、企業にかかる税率の低さと相まって、全世界的に有力な企業をシンガポールに集めるための大きな役割となり、資源の乏しいシンガポールが人材を最大の資源とし、アジアにおける最先進国としての地位を築いていく大きな要因となります。
第三に挙げられる客観的評価システムは、本来ならば❷の政府形態(詳しくはこちら)である状況では機能しないものであるはずの民主主義から派生する結果的客観的評価システムです。シンガポールは大半をグループ選挙区にしたり、ゲリマンダー的に選挙区割りをしたりすることによって、強力なヘゲモニー政党制を作り出すことにより、事実上一党独裁を保持してきました。
しかし、選挙自体は秘密選挙で不正操作もありません。
投票率も棄権者には罰則規定があるため、90%以上の高率となっています。
つまり、政権党の政治に対する大多数の国民による得票率による評価システムにおいては、政権党が変化しない等、一部機能が欠落しているところがありますが、基本的には成立していることになります。
人民行動党の得票率が下がると、政府は高学歴女性の優遇措置を廃止するなど政策を変更したり、体制の改善処置を行います。
2011年の当時過去最低の得票率の時は、リー・クアンユーは責任を取り、完全引退しました。
リー・クアンユーは偉大な政治家といえますが、当然のことながら欠点もあります。
遺伝的、能力主義を重要視し、世帯収入が低く、学歴の低い母親の避妊手術を奨励する一方、大卒の母親には有給休暇や税金面で優遇措置が与えられ、生まれた子供にはエリート学校への入学が優先的に認められるなど先天的格差を生み出そうとします。
これらは、先述した通り、結果的客観的評価システムの改善・修正機能により政策修正が行われましたが、ギフテッドと発達障害が紙一重という実態からも、先天的能力選別作業よりも、後天的にどうそれぞれ与えられた能力を適材適所に育成し、伸ばしていくかの作業の方が社会の健全的発展のためには必要と言え、先天的能力主義よりも後天的努力主義が重要視されるべきと言えます。
ただ人民行動党の得票率が下がると、それ以外のケースにおいても、一定の改善作業が行われ、場合によってはリー・クアンユーの引退など最終政策決定者の責任対応も取られて行きました。
これは同じ❷の政府形態であるロシアのプーチン政権において不正選挙が蔓延し、結果的客観的評価システムがほとんど機能せず、改善機能が働かなかったこととは対照的と言えます。
共産主義など独裁政権においては、通常は機能する客観的評価システムは条件的客観的評価システムであるメリットシステムだけです。
しかも、時間の経過とともに、腐敗・癒着を伴うグループ主義形成がされ、その機能さえも低下して行きます。
シンガポールでは、メリットシステムだけではなく 、GDP と連動したものや政権党に対する得票率によるもの等の結果的客観的評価システムも機能するため、メリットシステムの時間経過による機能低下も防御でき、総合的複数の客観的評価システムの量と質の整備度は、 他の先進国や民主国家に比較しても充実しており、官僚が指導する官僚主義国家でありながら、官僚の弊害、権力の集中にアジアの中で最も毒されていない国との評価を得ており、腐敗認識指数や国際競争力も常に世界最良のトップクラスを維持し、継続した発展により、小国でありながら、世界の最先進国としての地位を築き上げました。
続いては、古代ローマを題材に対象規模によってのグループ主義の攻撃力とそれを封じる結果的客観的評価システムの機能・役割を考証していきます。
組織というものは、社会生活分野、経済活動分野、どの分野においても大きくなればなる程、悪貨(グループ主義)が混入しやすくなり、客観的評価システムの介入がなければ、悪貨が良貨を駆逐するという流れにより、グループ主義・癒着・不正が蔓延るようになります。
グループ主義の鉄則によって、たとえ少数であっても、公益でなく一部のグループの利益を主としたグループ形成ができると、オセロゲームのように、全て善悪がひっくり返ってしまい、それに反するものは中心から外されたり、組織を追い出されたり迫害を受けてしまいます。
公共善を指向する人々(良貨)は、自分たちの時間・努力場合によっては財力やリスクを掛けて、それを成さしめようとします。
それに対して、グループ主義を志向する人々(悪貨)は、自分たちの利益と直結しやすい癒着や利権の構築に同じように、時間や労力などを費やします。
個と公(おおやけ)をリンクさせるシステムが特別なければ、自然の流れで前者は後者に駆逐されます。
前者の行動は後者に比べて、自分たちの利益に直結していないからです。
特に公共善のために既得権益を相手に改革を志す者は、さらにその度合いは激しくなります。
集団欲というのは、外部の敵に対しては凄まじい結束力を持って攻撃性を放つからです。
公共善のために尽くす社会利益主義者や改革者は、個と公(おおやけ)を直結するリンクによって優遇・保護するシステム(つまり客観的評価システム)がないと自然の流れの中で迫害され、除外される傾向が極めて高くなります。
」を参照
特にミクロからマクロになるにつれて、そのリスクは増大していきます。
規模が大きい程、悪貨が存在する率が高いため、客観的評価システムの介入がなければ、グループ主義がドミノ倒しのように急激に進行しやすくなるからです。
つまり、ローマが拡大するということは、グループ主義、主として貴族勢力による癒着・不正が増大することを意味してきます。
その動きを平民階級が身分闘争による法改正(リキニウス・セクスティウス法やホルテンシウス法など)により対応・封じ込めることによって、それらの問題をクリアしてきました。
国内問題が解決され、国力が蓄えられると、当時の都市国家は必ずと言って良い程、対外膨張戦争へと進んでいきます。
それによって、またローマが拡大されると、グループ主義のリスクが増大してきます。
それをまた、平民階級が身分闘争により問題に対応・封じ込めることが繰り返し行われました。
しかし、その規模が都市国家のものをはるかに超えるようになると、つまりローマがイタリア半島の統一を成し遂げ、ポエニ戦争で数々の属州を得ると、貴族階級の力は以前と比べられない程の増大を見せ、平民階級による身分闘争(グラックス兄弟による改革)が初めて失敗に帰しました。
国内問題が解決されず、深刻化したため、その後ローマは内乱の一世紀といわれる混迷の時代を迎えます。
その巨大化した貴族階級、グループ主義の力を封じ込め、再びローマを再興したのは、Ⓐ❷の政府形態の選択とⒷ補助兵を25年勤めれば市民権が与えられる結果的客観的評価システムです。
ⒶⒷ二つが両輪となり、古代・中世の時代において最大の繁栄を示すローマ帝国を創り上げました。
実質的に❸の政府形態(詳しくはこちら)になってしまっている共和制ローマにとって、❷の政府形態に移行することは、当時の時代が❶の政府形態を獲得できる状況でない(獲得できた国家が初めて出現したのは近代のイギリスにおいて)ことを考えると、ローマが再興するためには必然のことだったかもしれません。
❸の貴族制国家においては責任を取るものが明確でなく、表面的代表者をすげ替えても、実質的な権力体制、問題点がそのままで改善されない場合が多く、社会が沈滞し、紛争が多発し、人々が貧困に喘ぐ傾向にあるからです。
まだ❷形態の方が、公益における結果評価に曝される存在があるだけ、ない❸形態よりは遥かにマシということです。
ローマの防衛や拡大に貢献した自由農民や平民が逆に没落した共和制末期に比べて、帝制期に近づく頃には、カエサルがグラックス兄弟が挫折した農地法を成立させ、元老院の権限を制限し、アウグストゥスが補助兵を25年勤めた者や水道工事・建物の建設に携わる専門家集団に市民権などの特権を与えるなど皇帝が個と公(おおやけ)をリンクさせる役割を持つようになります。
しかし、帝制は世襲や血縁によるグループ主義を生みやすく、奇跡的にも免れた五賢帝時代は繁栄したものの、それは幸運の賜物でした。
また、与えられた特権であるローマ市民権も世襲されたことから、グループ主義化・貴族化していき、贅沢を通り越して、退廃的な文化を構築し、それらの生活は奴隷によって支えられるために、さらに帝国主義的な侵略によって、奴隷を確保ししていくしかなく、防衛線も大きくなり、軍事費も財政を圧迫するようになります。
一つの失策により、ドミノ倒しのように崩れていくリスクの上にあり、実際にローマはそのように崩壊していきます。
Ⓑについては両輪と言いいましたが、どちらかと言えば、こちら側が主輪に相当します。
その主輪をカラカラ帝が全属州の自由民にローマ市民権を与えるというアントニヌス勅令によって事実上に無力化してしまいます。
これによりローマ帝国を一体化した紐帯の時代に導いてきたローマ・アイデンティティが大きく衰退して行きます。
ローマ市民権は特権であり、栄誉と立身への明るい前途を約束するものであり、ローマの公共善を維持することに忠誠心や義務を抱く人々にとって、ローマ市民であることは誇りであり、目標でもありました。
誰もが市民権を得られるようになると、属州民は向上心を喪失し、元来 の市民権保有者は特権と誇りを奪われて、社会全体の活力が減退することになりました。
また市民権を得るためには帝国の住民でありさえすれば良いとなると、蛮族は帝国内に移住さえすればローマ市民となって文明の恩恵を受けられると考えて、蛮族の大移動の大きな誘因にもなってしまいました。
しかも、ローマ市民権の相対的価値が急落し、命をかけて祖国を防衛する自負心が弱まり、ローマ軍の質的な低下が起こったために、蛮族の移動・侵略に対して、帝国の防衛線を防げない危機的事態が急増しました 。
実際にカラカラ帝の後、間もなくして三世紀の危機と呼ばれる軍人皇帝の時代に入り、地方軍閥の指揮官が引き起こすクーデターの連続によって四分五裂の状態に陥り、半世紀の間に正式に皇帝と認められた者だけでも26人が帝位については殺されるという混乱が続きます。
暗君が続いても崩壊の危機を克服し、復活してきたローマが許容範囲以上の打撃を受けることになります。
この混迷を一時期的にしても収拾したのがディオクレティアヌス帝です。
ディオクレティアヌス帝は大きくなり過ぎたローマ帝国を四分割し、対象規模を減少させることによって、グループ主義が蔓延りにくくしました。(それを明確に意図したかどうかは別にして)
また、当時急成長しつつあったササン朝ペルシャの政治システムを参照にドミナートゥス(専制君主政)を導入します。
これにより、ローマの共和政の伝統は途絶えて、元老院はほとんど形骸化し、帝政前期の元首政の共和政的要素はなくなり、皇帝の専制化がなされます。
つまり、まだかすかに残っていた❸の政府形態の要素を完全に消し去り、❷の政府形態の傾向に特化するようになったということです。
これによって、確かに一時期的にはローマ帝国の混迷は収拾されました。
しかしながら、いくら分割したところでローマ帝国は巨大になり過ぎました。
主軸たる結果的客観的評価システムを失った状態では、崩壊していくのは時間の問題でした。
それ程、一定規模を超えたグループ主義の攻撃力は凄まじいものがあります。
Ⓑ補助兵を25年勤めれば市民権が与えられる結果的客観的評価システムが効いている状態は❶の政府形態のように民主主義から派生する結果的客観的評価システムが効いている状態とは当然違います。
しかし、種類が違えど、結果的客観的評価システムが効いている状態であることは一致しています。
巨大になり過ぎたローマ帝国におけるグループ主義の攻撃力を抑えるには、❶の政府形態のレベル(つまり何らかの結果的客観的評価システムが効いている状態)が必要であるのに、❸の政府形態の要素を薄め❷政府形態の要素を強めて、巨大化したものを少し分割したところで、一定の効果をあるにしても、必要とする効果がレベル的に圧倒的に足らない状況であったと思われます。
結果的客観的評価システムの介入なしに、これに対することはほぼ不可能であることは多くの歴史的史実が証明しています。
よって、資本主義万能主義的利益や格差をなくすには、資本主義万能主義的利益や格差の欠点である①虚業重視の要素と②グループ主義的要素の改善が必須であり、その為には条件的客観的評価システムとそれをフィードバックする結果的客観的評価システム両方の整備と相互補完性が必要不可欠であるということが分かります。
客観的評価システムを質・量ともに整備させることにより、資本主義万能主義的要素を社会利益主義的要素に転化させ、高収入の人=社会利益の貢献度高い人という理想的な構図(社会利益主義的格差の特化)を成立させるということです。
しかしながら、社会利益・公益の貢献に比例する形で報酬として与えられていても(giveの要素)、報酬としてのお金が与えられた本人を額に比例して幸福にしていなければ、(useの要素)が片手落ちと言えます。
つまり、報酬として与えられた金銭を消費するにおいて、市場が資本主義万能主義的利益を追求する余りに詐欺的要素に蔓延していれば、消費する額に比例して本人が幸せになるとはとても言えないということです。
これらの(useの要素)については別記事で詳しく考察しています。(詳しくはこちら)