歴史的観点から見た大学受験の必要性について

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今現在、大学受験を迎えている受験生は大変ご苦労様です。

自分自身、多浪や仮面浪人を重ねてきた経験上、その苦しみ、絶望etcはいやという程経験してきました。

では、このような苦しみを生み出す受験が必要なのか?を歴史的観点から考証していきます。

結論からいえば、ご苦労されている受験生の皆さんには残念なことにめっちゃ必要なのです!

大学受験というよりも客観的評価システムというものが必要なんですが・・・

客観的評価システムを説明するためには、先ずは集団欲とそれを制御する客観的評価システムというものが人類社会にどう深く影響を与えていくかを、人類の成り立ちから考察していく必要があります。

鋭い牙も爪も持たない人類が他の大型獣に打ち勝って生存できたのは、集団を形成することで初めて獰猛で強靭な獣と拮抗し、凌駕する術を得たからで、その本能として集団欲が深く根付きました。

人類は肉食獣的な個々もしくは一家族を単位とするよりも、草食獣的な集団を単位として生存競争を潜り抜けて社会的動物であり、集団や群れこそ実態とも言えます。

外部に攻撃対象を置くことによって、集団は内部の結束を強めます。内部の結束を強めることでさらに外部への攻撃は強くなります。この循環を繰り返し、集団はより強固なものとなっていきます。

しかし、これらが原始時代の肉食獣など他の動物に対して発動するのならともかく、人類が長い期間をかけてこれらの敵に対してほぼ克服し、もしくは生存において優位な立場になった時、つまり人類の人口が大幅に増え、他の多数の動物の中の孤立した集団ではなく、人間同士の集団が接し合うようになると、人類の集団の攻撃対象は人類の集団同士になってしまいます。

人類の集団同士の争いの中、集団は村を、村は小国をそして公(おおやけ)としての国を形成していきます。

国を支配する一族やグループは当然、特権や利益を得又差配する権限を所有することになります。これらは主に武力によって獲得されたもので当然に他の別グループによって同様に武力によって覆すことも可能となります。

実際にそうやって長い間中国は王朝と王朝の間に何百年という内乱の時代を必然のように含有し、王朝時代期間内にも常に政権内の武力的な紛争を抱え込んで行きます。

グループ同士、集団同士の争いは当然に公(おおやけ)としての国の力を落とし、属する個の人々の不幸に直結します。

内乱の時代は人口が激減します。生存するのが極めて困難な悲惨な社会となります。

つまり、原始時代のように人口が少数でそれぞれ孤立した集団しかない時ならともかく、人口が増加して多数の集団が融合した公(おおやけ)が構築されると公(おおやけ)内の 利権を巡って、しかも公(おおやけ)全体の公益を蔑ろにしながら、集団同士が争う傾向が非常に強くなります。

これをを避けるためには、公益と個また公益と集団を直接リンクさせる特別な仕組みが必然となります。

その仕組みがないと 、人類の歴史上、極めて長期間生存本能として強く機能し、実際他の肉食獣に対して有効に役目を果たしてきた集団欲が、原始時代を脱した時代においては、個と集団を密接にリンクさせ、公と個、公と集団のリンクを蔑ろにしてしまう結果となってしまいます。

その仕組みが客観的評価システムというものになります 。客観的評価システムというものには、公と個・集団それぞれと直接リンクさせていく働きがあるからです。

客観的評価システムは大きく分けて二種類あります。

一つは条件的客観的評価システムともう一つは結果的客観的評価システムです。

条件的客観的評価システムとは、社会の利益を生み出すであろう知識経験などを評価するもので、選抜試験、資格試験などがこれにあたりごく普及されている一般的なものではありますが、あくまで社会の利益を生み出すであろうという予測でしかありません。

結果的客観的評価システムにおいては、失業率 、GNP など経済成長率、福祉充実度などがありますがこれらは直接社会の利益とリンクしていますが条件的評価システムと違い、あまりダイレクトに使われにくいものです。代表的なもので選挙における政権党の評価で、総括的に使われています 。

条件的客観的評価システムだけであると所詮社会の利益における予測評価であり、ほぼ一回しか行われないものでありますから一回クリアしたものの中でグループ主義的腐敗が進行してしまいます 。

これは条件的評価システムの代表的欠点としてあげられ、条件的評価システムの初歩的な科挙制度においては、一度その制度が確立てしまうとそれをクリアした者たちによる特権階級によってグループ主義が形成され社会の利益とかけ離れて制度が硬直化してしまい進歩しなくなってしまいました。

諸外国に大学制度に裏打ちされたメリットシステム(公務員選抜試験)など他の優れた制度が出てきてもなかなか質の低い科挙制度からの脱却は中国で起こらなかったのもそのためです。

大学制度に裏打ちされたメリットシステムにしても英国社数理などの科目によって学歴という特権階級を形成されてしまうともっと社会の利益と直結した分野での評価システムが 改善・構築されにくくなってしまいます。硬直化、クリアした人々によるグループ主義による癒着化、腐敗が大きな欠点になってしまいます。

結果的客観的評価システムの方の欠点は簡単に言うとダイレクトには使いにくいものということです。一部の分野は除いてはですが・・・

例えばプロ野球選手なんかでは、打者は打率、投手であれば防御率などはまさに結果の客観的評価でそれに合わせて報酬・評価が行われます。

しかし、社会の利益に直結している分野においてあまり使われにくいものとなっています。失業率、経済成長率、寝たきり率、平均寿命、健康寿命、福祉充実度、生活幸福度などの総合的指数などが官僚・政治家などの評価・報酬に使われてるなどというのはあまり聞いたことがありませんよね!

 その中でGNP 経済成長率が官僚などの賞与と連動しているシンガポールはまさに例外的存在といえます。

大学受験は当然ながら条件的客観的評価システムの中に包有されています。

条件的客観的評価システムには1⃣第1段階目つまり歩的、原始的なものに科挙があります。

次に、科挙に影響を強く受けた西欧諸国がより社会の利益に沿った評価システムとして作り上げたのが2⃣第2段階目になるプロイセン・ドイツから導入された官僚を採用するためのメリットシステムとそれらを裏付けする学歴があります。

そして、それら以上に社会の利益に即した形での3⃣第3段階目になるドイツ・スイスのマイスター制度などを起源としたデンマークなどの全職業に網羅された職業訓練教育制度に裏打ちされた資格・技量認定制度などがあります。

1⃣2⃣3⃣に進む程、質が高いものとなります。)

この中で大学受験制度は第2段階目に位置します。

第2段階目と第3段階目の差を説明するにあたっては、アメリカと日本で対照的な、IQが高い人が多いギフテッドと言われる人々に対する取り組みの違いを参照にしていきます。

キフテッドと言われる人々は、一般的に注意力散漫であったり、共同作業がうまくできないと言う発達障害 (ADHD やアスペルガー症候群)併せ持つとされています。

アメリカのある調査では、アスペルガー症候群のうち67%は優れた才能に恵まれているという調査結果も出ています。

限りない可能性を発達障害を持つ子どもたちは秘めているのです。😀

長所と短所が合わせ鏡のようになる状態で、実際にギフテッドの人々の高校中退率はかなり高いと言われています。

ADHDがある人の退学率は平均よりも高いという調査結果があります。

アメリカでの調査では、高校生の退学率の平均は15%程度といわれており、ADHDの学生の退学率は33%とかなり高くなっています。

また、ADHDの人が高校を留年する割合は約50%、退学率は約35%となっていて、仮に大学に入学しても卒業できる割合はたった5%程度という報告があります。

日本では、高校中退者は学歴という基準だけの評価では低能とされ、就職もままならず、社会の落ちこぼれとされる場合がほとんどです。😥

しかし、ギフテッドと言われる人々の中には、アインシュタインやビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、ビル・クリントンなど多くの著名人が含まれます。

失読症であるディスレクシアである者も多く、アインシュタインもその中の一人で、第一志望の大学に落ち、滑り止めの大学でも教授とコミュニケーションが取れずに苦労したと言われています。 

一つの基準だけでの評価だけでなく第三段階の条件的客観的評価システム(詳しくはこちらをクリックのように、あらゆる職業に資格や技能鑑定を付与した評価基準が多くある方が、当然受け皿が大きくなります。

アメリカのように、大学に入ってから自由に好きな専攻を選択し、その実業に沿った専攻科目の成績評価 GPA が、その後の就職などの将来に大きく関与していくシステムも第3段階のシステムに準じたものと思われます。

アメリカでは、そのシステム以外に、直接ギフテッドの兆候が見られる子供達に早期に介入していくプログラムもあります。

できない所でなく、長けている所を探し、伸ばしていく教育がされています。

長所と短所は合わせ鏡であり、そういう意味で言えば、全ての人々がギフテッドで ADHD とも言えます。

その長所と短所の度合いが大きく、表面上に出ている存在が定義上のギフテッドと言うこともできます。

能力や才能のある優秀な人々というのは、ある意味その能力がたまたま適応する環境フリーライドしている側面があります。

優秀な人材を発掘、掘り起こすにはそれを評価するできるだけ多くの基準とそれを伸ばす教育の場が必要不可欠です。

ギフテッドでディスレクシアなどの大きなハンデがありながら、アメリカでは努力で克服し、活躍している人々が多くいます。

好きこそものの上手なれとは言いますが、自分の興味がある選択肢が用意されれば、人は努力乗り越えていく傾向があります。

大事なことは、限定した環境下でのたまたま適合した極めて一部分・一分野能力主義ではなく、様々な可能性・方向性が提示された中で、自分に適合するものを選択し、思う存分に努力し追求できる場を用意する実践的な教育システムとその努力を評価する客観的評価システムによって創設されて、保証される努力主義であるということです。

限局した範囲での能力主義に弾かれた者は、当然のことながら 努力する場も、評価もないことから努力をしなくなる傾向にあります。

様々な努力する場とそれを評価する第三段階の条件的客観的評価システムのある国の代表国であるデンマークスイスでは、自分の能力を向上させる生涯学習などで費やす時間はそれぞれ世界で1位、2位国際競争力もそれぞれ最上位レベルの順位に位置しています。

ただ、第1段階目つまり歩的、原始的な科挙制度であっても古代中世の中国において王朝から王朝までの何百年における内乱・戦国時代をなくすなどの社会利益・公益に沿った大きな役割を果たしました。(詳しくはこちらをクリック

よって、社会利益・公益にとって客観的評価システムは必要不可欠であることは疑いようもないことです。

しかし、

その質は上げて行かなければいけません。

条件的客観的評価システムであれば第3段階目に引き上げて、さらに結果的客観的評価システムにフィードバックさせるなどです。

条件的客観的評価システムフィードバックする結果的客観的評価システムには、間接的に機能するものとして、特に北欧諸国において発達したの民主主義から派生したもの(詳しくはこちらをクリックやシンガポールで独自で発達した GDP と相関させるもの(詳しくはこちらをクリックがあり、直接的に機能するものとしては、大学教育においてスイス・アメリカなどに見られる教授や講義内容学生・卒業生評価させるものなどが、現在においては存在しています。

所得補償をする学校というものが日本でもネット上一時期紹介されたことがあります。

今の日本の実情を考えると実施し、根付かせるのは非常に困難であると思われます。

これを実質的に実施しているのが北欧諸国のデンマークです。

デンマークではあらゆる職業でライセンス(資格)を持っていることが義務付けられていて、ライセンス所有者は職種による最低賃金が保証されています。

職業教育を終え、専門職のライセンスを得、実務経験を得た後でさらに同種のグレードアップした職業資格を取得することも可能です。

例でいうと、産業挙育コースの課程を修了して卒業資格を得て庭師になると40万程の月給が、さらに農業学校を卒業して農業技師の資格をとると50万、大学を卒業して造園設計技師の資格をとれば60万程の月給が保証されます。

これらは第三段階目の条件的客観的評価システムに相当します。(詳しくはこちら

ただ、条件的客観的評価システムである以上【条件的客観的評価システム←結果的客観的評価システム】の補完性がないと高度な第三段階目であってもマイスター制度の手工業マイスター(工業マイスタではなく)のように硬直化してしまう可能性があります。詳しくはこちら

デンマークでもドイツでも民主主義から派生した結果的客観的評価システムが整備・機能していますが、それだけではなく、直接的に強く作用する結果的客観的評価システムのプラスαがある方が硬直化のリスクをより回避することができます。

直接的に強く作用する新しい結果的客観的評価システムの具体化を考証していきます。

条件的客観的評価システムの教育や試験などを統括する機関が、卒業生の国への納税額などを基準とした結果的客観的評価システムのコントロールを受けるというものも一つの方法です。

つまり、卒業生の納税額の総計が大きければ、機関や大学は国などから補助金などを報酬として、総計に見合って受け取り、小さければ減額されてしまいます。

納税額や収入などの金銭的な基準は、それだけでは資本主義万能主義的(詳しくはこちらなものになりがちですが、複合的に重ねて客観的評価システムを関連させることによって、社会利益主義的な指標に転化することができます。

社会に質・量共に整備された客観的評価システムが機能することによって、納税額や収入なども社会利益主義的寄与度を表すものになって行きます。

一例としては、金銭的利益に直結していかない社会利益主義的な研究やプロジェクトに関しても、客観的評価システム 下で評価され、国から莫大の報酬金が付与されるなどによって、金銭的指標である納税額なども社会利益主義的色合いを帯びてくることになります。

それらを同時・並行に実施することによって条件的客観的評価システムの欠点を補い、全体的な客観的評価システムの整備を充実化することができます。

大学受験の制度は必要ですが、上記のように質を改善することによって、現在の受験生のの苦しみ・虚無感がかなり軽減され、加えて社会利益・公益という観点においても大きなプラスになるのではないでしょうか?

 

 

 

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