戦前における君主国、民主主義国としての両方の利点が欠落し、逆に両方の欠点を抱え込んでしまった日本において、北が民主改革のためにした苦労は、歴史的に代々の民主主義改革者の苦労と類似するものがあります。
その苦労の跡が曲解され、本来の立役者であった北一輝が国賊扱いされた一方で、戦後民主主義の立役者として詐欺的に仕立てられた宮中グループが戦後の日本を再び歪めていきました。(詳しくはこちら)
民主主義改革者の苦労として、最大の問題として資金面があります。
しかし、武力的圧制を敷く既存体制に対立する以上、正当な職に就きにくくなり、しかも一人では何も成し遂げられない為に仲間や部下も必要となります。
政治活動には金が掛かるものであり、日本に亡命して来た張群などの辛亥革命の運動家の面倒も北はみていました。
教科書でみる民主化革命は美しく描かれていますが、革命の現場に身を置けば、権謀述数、暗殺謀殺、そして金絡みの買収、裏切りなどが横行する修羅の世界が現前しています。
ピューリタン革命、名誉革命、フランス革命、そして日本の第一段階目の民主革命である明治維新しかりです。
維新の志士の多くが脅迫まがいの行為を収入源としていたことは有名です。
有名な維新の志士である坂本龍馬も公金を五十両ネコババしたり、ニセ金製造計画をしたり、いろは丸事件では多額の賠償金を吹っ掛けた凄腕クレーマーでもありました。
同士が所属していた土佐勤皇党を弾圧した土佐藩政府と手を結んだことに対して、姉に『利を貪り、姦物役人に騙されている』と非難されたことへの反論の手紙には『天下国家のために働いているとはいえ、これまでの間に国からお金は一切支給されておらず、その中で自分は仲間を五十人も養っており、そのために利を求めているのです。』と書かれています。
土佐藩の商社の責任者であった岩崎弥太郎や土佐藩の重役であった佐々木高行に対しては、常にお金をせびったり、たかったりしています。
龍馬は死ぬ直前まで、お金に苦労しており、その頃には各方面にその名は轟いておりましたが、部下の服を買ってやる金もなく、土佐藩の重役に金の無心の手紙を書いています。