1970から1980年代の日本の経済が最強だった時代のように、日本が復活するためにはどうしたら良いのでしょうか?

あの時代は、戦前の特権階級・柵(しがらみ)・グループ主義的システムの多くが撤廃され、その中で比較的に(戦前や現代に比べて)官僚がグループ主義よりも国益・公益の方向性にシフトして活動し易い環境でもありました。

しかし、あの戦後改革は半分外圧の力を得て行われた部分、本来の内圧的要因の力から、時間の経過とともに天下り制度などのグループ主義的システムが構築されていきました。

それによって、再び戦前のようにグループ主義の方向性に官僚が誘導されるようになってしまい、平成の失われた30年を経て、現在の停滞・没落の時代の日本になってしまった訳です。

シンガポールは戦後、隣国マレーシアのルック・イースト政策に先駆けて、日本をモデルに、日本が官僚主導の開発主義体制から日本株式会社と呼ばれたように、国というより、一つの株式会社と呼ばれるような産業の隅々まで、国・官僚のコントロールが行き届いた形態を創り上げました。

日本が、戦後の民主改革の恩恵により、一時期的にせよ多くのグループ主義が解除されることによって高度経済成長し、世界第二の経済大国になったものの、グループ主義の再構築によって、世界最大の政府債務残高(対GDP比)を保有するようになってしまったのに対し、同形態に思えるシンガポールは、健全に成長を続け、国際競争力・国際格付、腐敗指数など全て世界の最良・最上位のレベルを保持し続けています。

両方、官僚主導とする一つの株式会社と称される形態であるのに、一方は腐敗・癒着による無駄遣いによる借金大国になり、一方は官僚機構に関する調査でアジアで最も官僚の弊害が少ない評価を受ける違いはどこから来るのでしょうか?

それは、官僚の報酬体系から読み解くことができます。

日本においては天下りという非公式で、癒着性の高い、加えて上司や政官財のグループ主義などの主観的裁量の影響を受けるものを主体としているのに対して、シンガポールでは官僚の報酬はGDP成長率という客観的指標と連動し、国が成長すると報酬が増え、停滞すると報酬が下がります。

二十世紀末に一人辺り国民所得がかっての宗主国イギリスを抜いた時、政府は閣僚と高級官僚の給与を大幅に引き上げて、その労に報いました。

この結果的客観的評価システムによって、シンガポールの官僚は企業の業績を上げ、国を成長させることに全力を傾けます。成長の画像

一方では天下りのなどのシステムによって、日本の官僚は公益に相反するグループ主義に邁進することになるのです。

天下りの画像

日本が復活するためには、今度は逆にシンガポールを日本が見習う必要があります。

日本もシンガポールのように官僚の報酬体系を国益・公益に関連する客観的指標(GDP成長率・CO2排出量削減率・東証株価指数・腐敗指数など)と連動させると、本来のどこの国にも負けることのないとも言っても過言ではない日本の官僚の優秀さをもってすれば、(方向性さえ間違わなければ=グループ主義よりも国益・公益)日本の経済が最強だった時代のように、日本が復活することは間違いないでしょう❕

 

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