カエサルはなぜ帝政化を目指したのでしょうか?カエサルの画像

帝政と言えば、現代の価値観で見ると負のイメージがあります。

 

カエサルキケロが認めるほどの読書家でした。

当時の本はパピルスでできていたからとても高価で、カエサルは本の読み過ぎが原因で借金を抱えることになりました(それ以外の要因に、勿論女性関係もありました)。

それくらい、若いころに大量に本を読み込んでいたのがカエサルでした。

そのカエサルがなぜ現代の価値観で見ると負のイメージがある帝政を志したのでしょうか?

若い頃の自分には、正直全く分かりませんでした。

時代のせい?

では、具体的にはどのような要因なのかが納得いく形、腑に落ちる形でいく考え方、説明がどこの文献を見てもありませんでした。

しかし、何十年も経ち、どうしたら皆が幸せになれるのだろうか?そんなシステムがあるのだろうか?という自分自身のライフワーク的模索を経て、客観的評価システム(詳しくはこちらをクリック)という答えに辿り着いた時に、やっとこの具体的な要因が理解できるようになりました。

政府形態は歴史的に見て、大きく次の三つに分けることができます。

❶国民により選ばれた政党などが中心に政府を構成する民主国家

❷独裁者や絶対王政における君主などの一人の人物を中心に構成する 独裁国家

❸複数の貴族・特権階級などが権限の少ない君主など代表者を表面的に立てながら、実権を握り、政府を実際的に中心になって構成するような国家貴族制封建国家

時代的に言えば、西欧においては絶対王政時代になる前までの、東洋では科挙が根付くまでの国家は大体これに当て嵌まります。

結果評価にさらされるのが前者二つの❶❷です。

後者❸においては責任を取るものが明確でなく、表面的代表者をすげ替えても、実質的な権力体制、問題点がそのままで改善されない場合が多く、社会が沈滞し、紛争が多発し、人々が貧困に喘ぐ傾向にあります。

中国や朝鮮において科挙が根付くまでは、何百年もの内戦が繰り返されており、西洋においても中世の暗黒時代はカトリックのローマ教会と直接結びついた貴族制によって作られた停滞・貧困・争いの時代でした。

前者二つ❶❷を比較した場合、当然優れているのは❶民主国家の方です。

平和裏に政権を変えることができ、その度に改善を伴うことができ、安定した民主主義下では結果的客観的評価システムが機能するからです。

独裁国家の場合、リークアンユーが来るのか、ヒットラー来るのか、名君が来るのか、暗君が来るのか予測がなかなかつきにくく、さらに独裁体制が世襲制の場合は代を重ねることに質が劣化していく傾向にあります。

しかも、政権を変えるためには、暴力という手段を使わないとほぼ不可能で、民主国家に比べて極めてハードルが高くなっています。

よって、三つの国家を社会利益の観点で順番をつけると民主国家が❶位、独裁国家が❷位、貴族制国家が❸位とつけることができます。

しかし、民主国家が民主主義から派生する結果的客観的評価システム詳しくはこちらを獲得できなかった場合、つまり❶形態の結果評価を背負うシステムを築けなかった場合、❷形態で背負う君主などは既に消失している為、実質的には背負う存在がない❸形態に陥ってしまいます。

古代ギリシャの民主政、共和政ローマ、フランス革命直後の共和政、近世ポーランドの貴族民主主義、ドイツのワイマール共和国、大日本帝国の憲政の常道などが挙げられます。

これらは、それぞれ元々❷の形態であった時よりも、社会は混乱し、争いが満ち、貧困や不幸倍増してしまいます。

公益の結果評価を背負う存在がないため、問題点が噴出しても、改革が滞ってしまいます。

その結果、当然のことながらグループ主義が蔓延し、それがさらに紛争を生み、それによってさらにそれぞれが身を守るために、誰もがグループ主義に邁進してしまう悪循環に陥ります。

共和制ローマにおける内乱の一世紀、近世ポーランドの大洪水時代からのポーランド分割、戦前日本の東北を中心とした農村部の荒廃と身売りの常態化など民主主義進行することによって、逆に社会マイナスの方向に進んでしまいます。

民主国家が優れてる要素は、そこから派生する結果的客観的評価システムの苗床としてであり、それが育たなかった場合、逆に大きな不幸を社会にもたらす結果になってしまいます。

直接民主制のアテナは、民主主義の度合いで言えば、高いとも言えますが、好戦的なデマゴーグによるポピュリズム的衆愚政治により国力が低下し、対極の政治体制であるスパルタの軍門に下ります

イギリスよりも先駆けて準立憲君主制、議会制民主主義を実践したポーランドは、選挙権を持つ率は人口の1割を超え、数百年後の19世紀のイギリス・アメリカよりも高い状態でした。

しかし、全会一致の原則などによって結果的客観的評価システムが成立不可能であったため、❷形態の君主制の下ではヨーロッパで最も広大かつ多くの人口を抱える大国の一つ であったポーランドは、大洪水時代における破滅的な内外問わない一連の紛争・戦争の結果、人口の1/3を失い、大国の地位を失います。

そればかりか、隣接するロシア帝国・プロイセン王国・オーストリアの❷形態の君主制の三強国によって、何度も領土を分割され、一時期的に国は消滅してしまいます。

そして、長い間においてポーランドの人々は反ポーランド主義の中、差別され、抑圧されてしまいます。

つまり、❷形態の方が、公益における結果評価に曝される存在があるだけ、ない❸形態よりは遥かにマシということです。

ドイツの社会心理学者であるエーリヒ・フロムが民主制から独裁への移行を自由であることによる不安が人間を権威主義に走らせると読み解き、自由からの逃走と表現したことは有名です。

しかし、自由からの逃走というよりも、❶形態になれない中で、❸形態から❷形態への逃走と見た方がより正確なのかもしれません。

公益にとって大事なことは客観的評価システムの度合いであって、民主主義の度合いではありません

でなければ、独裁国家である現代のシンガポールが、他の独裁国家はもちろん民主国家と比較しても、極めて経済的最上位に発展し、腐敗度合いも最も少ないレベルにあることを説明することはできません。

結果的客観的評価システムが機能した❶位の民主国家】が登場したのは歴史的に近代のイギリスからです。

よって、中世までは❷位の独裁国家か❸位の貴族制国家かが問題になります。

中途半端な民主主義(結果的客観的評価システムを伴わない)は❸位の貴族制国家の要素を強めるだけです。

規模が大きくなる程、集団欲が誘引するグループ主義の影響力が巨大化します。

ポエニ戦争後、巨大化したローマが属州利権で権益が増大した貴族階級と本来防衛・軍事において功績がありながら逆に貧困化した自由農民・平民階級との激しい争い・対立における内乱の一世紀において滅亡一歩手前であった中で、カエサルが❸位の貴族制国家から❷位の独裁国家を志したのは至って当然とも言えます。

 

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