民族的公平性(機会の平等、チャンスの平等)の重要性を実感する歴史的事象を三つ程紹介していきます。
(一つ目)コルシカ島民のナポレオンがコルシカ独立の戦陣に生まれ、独立の憤を抱きて、敵国であり支配国のフランスの士官学校に学んでいたのが、革命後のフランスがコルシカをフランスの本国と平等に扱い、コルシカ島民をフランス人として自由に開放するに至っては、独立党の青年士官であったはずのナポレオンはフランスに対する愛国心をエルバ島で葬られるまで失わなかったといわれています。
(二つ目)盛期ローマ帝国において、人種間の差異というものが縮小し、かってカエサルをアレンシアで包囲して苦しめたゴール人の子孫がローマ帝国の軍団を率い、ローマの属州を統治し、ローマの元老院に選出されるようになると、かれらの野心がローマの安寧を乱すことでではなく、ローマの偉大さと安定に貢献することになりました。
(三つ目)アメリカは人種的・宗教的寛容の精神によって、世界中から優秀な移民を呼び寄せ、世界一の大国を創り上げました。
これらの事象を見ても、民族的公平性(機会の平等)は個的・公的の両方にとって++(プラスプラス)、WinWinの関係を構築させる大きな働きを担っているのが分かります。
実際的に歴代の覇権国や、現代においても小国ながら世界最上位の国際競争力を常にキープしているシンガポールやスイスなどにも共通する要素です。
しかし、それが機会の平等、公平性のレベルを超えて、結果の平等的なレベルに達したときに、逆に国家は衰退してしまいます。
建国に近い状態でなければ、つまり国の繁栄が一定の度合で達している状態においては、移民に対して選別なく受け入れることは逆効果になってしまいます。
あるべき方向性は結果の平等的なものではなく、機会の平等、公平性を追求したもので、公益に沿う観点でのセレクトは必要不可欠の様に思われます。
そうしなければ、古代のローマ帝国がアントニヌス勅令によって、崩壊の道を進んだように、また近現代のスウェーデンが大幅に移民・難民を無制限に近い形で受け入れたために、暴動犯罪率が急上昇し、対立の構図に苦難したように、国力を大幅に落とし、衰退することに直結してしまいます 。
民族的に機会の平等・公平性を追求した国家は繁栄し、民族的に結果の平等性を追及した国家は衰退する
これが原則のような気がします。
また、国の繁栄が一定の度合で達している状態において、結果の平等的に、移民に対して選別なく受け入れるということは国の概念、国家の概念が消失するということになります。
そうなると、国家単位での客観的評価システムを作用・機能させる対象がなくなることになります。
それは、よりよい公的社会をつくるという点で大きなマイナスとなってきます。
実質的に世界一つの国家の形をとると、ベンチマーキング的な他の国家に比較しての改善・改革的実践が不可能となります。
そして、一度でも、その世界一つの国家が独裁的な圧制体制をグループ主義により確立してしまうと、修正をするのが極めて困難になります。
客観的評価システムの観点で見ると、機会の平等、公平性つまりチャンスの平等は評価する母体を大きくするので、当然プラスに働きます。
しかし、結果の平等まで行くと、客観的評価システム自体が意味のないもの、つまり無力化してしまいます。
実際的にも、上記(二つ目)のローマ帝国においても、公平性を実質的に担保していた主軸的システムであった結果的客観的評価システム(補助兵を25年間勤めればローマ市民権が与えられた制度)が全属州の自由民にローマ市民権を与えるというアントニヌス勅令によって無力化されてしまうと状況が一変してしまいます。
ローマ市民権は特権であり、栄誉と立身への明るい前途を約束するものであり、ローマの公共善を維持することに忠誠心や義務を抱く人々にとって、ローマ市民であることは誇りであり、目標でもありました。
誰もが市民権を得られるようになると、属州民は向上心を喪失し、元来 の市民権保有者は特権と誇りを奪われて、社会全体の活力が減退することになりました。
また市民権を得るためには帝国の住民でありさえすれば良いとなると、蛮族は帝国内に移住さえすればローマ市民となって文明の恩恵を受けられると考えて、蛮族の大移動の大きな誘因にもなってしまいました。
しかも、ローマ市民権の相対的価値が急落し、命をかけて祖国を防衛する自負心が弱まり、ローマ軍の質的な低下が起こったために、蛮族の移動・侵略に対して、帝国の防衛線を防げない危機的事態が急増しました 。
ローマの紐帯が失われた中では、寛容政策が人種差別、隔離的なものに、そしてローマに忠実だった他民族の人々は敵対勢力に変じ、ローマは崩壊の道を進んでしまいます。
上記(三つ目)の現代アメリカにおいても、2012年にオバマ大統領が出した大統領令を若い世代に限って移民の強制退去を求めないという政策(人道的にはとても素晴らしいですが・・・)の後、不法移民の数が激増し、アメリカの南側の国境には一日に400人を超える子供たちが押し寄せ、本国に送還されず、多くが不法移民となっていき、その反動として、民族的寛容性の要素がオバマ大統領とは対極的なトランプ大統領が生み出されました。