現在の財閥中心の韓国は、戦前の日本をモデルに陸軍士官学校出身者や日本留学経験者が中心に構築されました。

大企業・財閥による寡占・独占が進行すると、競争阻害され、半分共産主義と実質的には変わらなくなってしまいます。

経済が停滞し、財閥と権力機構の癒着構造が激しくなります。

現在の韓国においては、経済面では破綻を繰り返し、政治面では大統領が職を降りた後ほとんどが訴追される程、癒着が蔓延りやすい環境となってしまっています。

戦前の日本においても、有力な政治家は多くは財閥と姻戚関係を持っています。(西園寺公望ー住友財閥、幣原喜重郎・加藤 高明ー三菱財閥、陸奥宗光ー古河財閥など)

これらの元老・財閥の密接で強力な癒着構造体により、民主主義が形骸化しました。

(戦前日本の憲政の常道期の政党政治では、一度も総選挙の結果に基づいての政権交代はありませんでした首相を選出する権限元老の意志に委ねられていました。つまり最後の元老と言われた西園寺公望の意思によって決定されていました。)

国民の声が反映されにくい状態の中、問題解決・改善が全く進まず、国民の期待が形骸化した民主主義から離れたことから、ファシスト的な軍部独裁の台頭を許し、悲惨な戦争へと突入してしまうことになってしまいました。

その多大なる苦難を経て、戦後日本は高度成長を成し遂げます。

その高度成長の大元といえるが財閥解体です。

戦前の財閥支配が一変し、ソニー、ホンダ等の強力な急成長のベンチャー企業が誕生しました。

それに対して、1970 年代から 1980 年代の日本の製造業が世界を席巻していた時代つまり、アメリカ経済が衰退傾向を強めた『アメリカの没落』といわれた 時代におけるアメリカでは大企業中心の経済であり、日本経済が最強であった原因・要因を学びに日本を訪れていた米国の役人や知識層は、日本から学ぶべき大事な要素は『ベンチャー企業である、ベンチャーの起業家精神である』と現代の日本人には信じられないようなことを主張していました。

「日本の産業が戦後こんなに強くなったのは、ソニー、ホンダ等の強力な急成長ベンチャー企業が誕生し、それまでおっとり構えていた松下電器、日立、東芝、トヨタ、日産等の大企業がソニー、ホンダが起こすイノベーションに負けてはいられない、と大企業とベンチャーの間で激しい競争が起こったから製造業の基盤全体が世界最高のレベルに持ち上げられたのだ。

それに比べて我が米国のGE、モトローラやGM、フォード等の大企業は、独占的な地位を享受して激しい競争が国内に無いから革新的なイノベーションが起きにくくなっている。日本の脅威に勝つためには米国でも日本のように強力なベンチャー企業の創出を真剣に考えなければならない」という内容でした。

日本が成功したように、米国でも強力なベンチャーが出てこないと大企業が停滞し、米国の産業復活はない、と思い詰めSBIR政策を進める法案を数年かけて、多くの反対を押し切ってエドワード・ケネディが中心となって議員立法化され1983年に発足します。

1983年から実施されたSBIRは、各省の外部委託研究開発予算の当初0.25%(現在は2.5%)を、ベンチャー企業に強制的に割り当てる法律に基づいているが、当初各省の大反対の中でとりあえず時限立法ということでスタートしました。

1970年代から1980年代にかけて躍進する日本への対抗策として、イノベーションを大企業に頼るだけではなく、ベンチャーの活力を生かそうとしたある熱心な官僚の意見をエドワード・ケネディが後押しして、やっとのことで法制化したものでした。

この法案に反対する各省の官僚は、例えば、ミサイルに関わるシミュレーションプログラムを、できたばかりで数人の従業員の会社に頼んでもそのベンチャー企業の信頼性は不明であり、税金を使ってそのようなリスクは取れない、と主張しました。
法制化され強制されてしまった後は仕方がないので、できもしないような難しく大企業が背を向けるような仕事をベンチャーに振り向けて、手も足も出ないとベンチャー企業にあきらめてもらおう、という作戦で難しいテーマを決めて公募してみましたが、いくつかのベンチャーがその難題を短期間にものの見事に解決していきます。

その様な経過を経て、SBIRはアメリカに定着していきます。

全米で毎年2千以上のベンチャーが資金援助される規模の大きさや、フェーズごとに練られた仕組みの良さや、多くの省が競い合って参加する仕組み等で成功するベンチャーが多く、長年続けられている政策であり、ベンチャー育成政策の成功例として世界的な注目を集めました。

このSBIR政策とほぼ時を同じくしてIT革命がおこり、米国のベンチャー活動は大きく動き出し、そこから生まれ続ける革新的なイノベーションは大企業を刺激するようになり、米国では「シリコンバレーモデル」が「国のビジネスモデル」であるとまで言われるようになりました。

ベトナム戦争以降の長い経済・社会の停滞・低迷を脱した後での、これらアメリカ経済の奇跡の復活はニューエコノミーと名付けられ、自信を取り戻したアメリカの人々の心に刻まれました。

1970から1980年代のアメリカにおいては、日本資本がアメリカ企業のコロンビア映画やロックフェラーグループ社など、アメリカの有力企業を次々と買収。「アメリカの魂を買った」という反発も出るほど、豊富なジャパンマネーを背景に、日本資本の海外投資が一段と加速しました。

しかし、現在の日本においては平成の失われた30年を経て、停滞・没落してしまっています。

現在では、米国のベンチャーはあらゆる分野でその勢いは留まるところを知らない活況を呈しています。

それに比べて日本のベンチャーの勢いの無さは対照的ともいえます。

それどころか戦後日本の高度成長の大元といえる財閥解体の効用を台無しにするような銀行法改正がされ、日本経済をかろうじて支えてきた中小企業が銀行や外資の標的になりつつあります。

このままでは、日本は間違いなく戦前の日本や現在の韓国のような状態になってしまいます。

現在の韓国や戦前の日本の状態にならないように大きな歯止めになっていたのが以前までの資本規制をしていた銀行法です。

財閥は銀行など金融資本を中心に形成されたからです。

このままでは、残念ながら現在の韓国のようになってしまうのは時間の問題であると思われます。

もうすでに、銀行法改正の動きに沿って、ゴールドマンサックスなどの海外金融資本が銀行免許を取得し、日本の中小企業が標的になりつつあります。

これは恐らく時間との勝負となります。

日本の将来のために、子供達のために、一刻もこの改正の改正しただきたいと切に願います。

 

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