不幸にあったり、悩んでいる相手の立場に立って物事を考える人はどうしてもネガティブなエネルギーを浴びてしまいます。
悩んでいる人と特に接する機会が圧倒的に多い精神科医が平均の十倍程自殺率が高いのも多くのネガティブなエネルギーを浴びてしまうからだと思います。
しかし、『相手の立場に立って物事を考える』『不幸な立場にある人々を想いやる』という行為は、主観的なグループ主義を排除し、客観的な公益主義に沿った社会を構築するには必須の作業・行為といえます。
しかし、その作業・行為に極力努める人は精神的負の要素を背負うことになります。
公益性という点では正しい行為といえますが、正しい人間が人間が必ずしも報われるとは限らず、寧ろ逆になってしまうことも多いのは『正しい人間が報われるには』の記事(詳しくはこちらをクリック)に書いた通りです。
上記記事で述べた公益性とリンクした客観的評価システムなどによってせめてその負の要素を打ち消し、帳尻を合わせないと(せめて±ゼロ、できれば+の状態が当然ながら望ましい)それらの行為を全く行わない自分勝手な、自己中心的、グループ主義的な人々(もしくは表面的・建前的な思いやりか、結果として自己利益に帰結するグループ主義的なグループ内に限定した優しさを示す人々)が相対的に+の要素を得ることになり、自然の流れでその方向性が主流派となってしまいます。
現在の日本では残念ながら、客観的評価システムの整備・機能が十分にされているとはとても言えない状態のため、どうしても相手の気持ちを真に深く思いやる優しい人々の方が不幸になってしまう傾向にあるのです。