現代においても古代ギリシャの『詭弁』が蔓延している世情について

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古代ギリシャの時代には、ソフィストといわれるところの弁舌に長じた哲学者達を多く輩出しました。

ソフィストは、前5世紀ごろ、アテネなどのポリスの市民に、弁論術などを教えて報酬を受ける、いわば家庭教師たちのことを言い、彼らは真理の探究よりも、いかに相手を論破するかということに力を注いだので、詭弁に陥ることが多くありました。
このため、この時代に詭弁が飛躍的に発展し、説得や交渉、プロパガンダやマインドコントロールのテクニックとして、後の世に用いられていきます。

現在の世の中においても、高収入を得ている人々の多くがこの詭弁を操る能力や費やす努力を尊ぶ不可思議な文化があります。

虚業的分野である金融業は、莫大な収入・報酬を受けていますが、特に投資関連(特に外資系)は圧倒的トップクラスの高収入を得ています。

しかし、年数が経過すればするほど、アクティブファンドはインデックスファンドに負けてしまうという現実(アクティブファンドは株価指数などより高い運用成績をプロが目指す能動的ファンドで、インデックスファンドは株価指数などと同等の値動きを目指す受動的ファンドです)があるのです

また、保険会社で月収数千万に及ぶ高収入を得ている人の報酬が顧客の掛け金のかなりの割合から出ている現実があります。

それは言い換えると、その分同じ保証でも掛け金が高くなるか、同じ掛け金なら保証のレベルが下がることを自動的に意味して来ます。

人件費が余り掛からない共済の方が基本的・一般的には保険会社の商品に比べて割安・低コストでパフォーマンスの高い商品が提供されているのを見ても分かります。

保険会社の中でもネット専業の保険サービスも登場しており、人件費や家賃が浮くことから割安の保険料を提示する事業者が多くなっていますが、それも人件費を削減することから由来しています。

客観的・論理的にこれらを考察すると、低品質の金融・保険商品営業力によって販売することによって、高収入を得ることが王道化してしまっている感があります。

つまり残念ながら、ここにおける営業力とは、半分詐欺的なもしくは接待やリベート、コネなどのグループ主義的な非建設的で社会利益や公益性からは距離があるというか、相反するといっていいたぐいのものを意味することになってしまっているのです。

実業的な製造業やクリエイティブなサービスにおけるものならともかく、虚業における営業力というものは、どうしてもその傾向になってしまうの致し方のないことかもしれません。

営業力自体が客観的評価システムの機能が充実し、その商品の質・費用対効果が皆全員が手軽に迅速に把握できるようなっていれば、それは余り必要性のないものといえます。

勿論、建設的な営業力や虚業分野もあります。

金融は経済を体で例えると血液であり、営業は商品の伝達・橋渡しをするいわば酵素的な働きをし、それぞれ重要な機能・役割を担っています。

しかし、現在においてはそれらが強調・重視されすぎている傾向にあります。

例えて言うと、必須アミノ酸におけるアミノ酸の桶の理論に近いものがあります。

九種類のうち、一番含有量の少ないアミノ酸を一番背の低い桶板に例えると、いくら満杯にしようとしても、そこから水が流れてしまう

つまり、吸収されずに排出するために、エネルギーや栄養素を無駄に浪費し、逆効果になるというものです。

必要量に対して充足率の最も低いアミノ酸を制限アミノ酸と言います。

公的社会の利益、公益において最も制限アミノ酸になりやすいのが、客観的評価システムと言えます。

経済においては、金融や営業も必須アミノ酸の一つといえます。

しかしながら、制限アミノ酸である客観的評価システムが十分に整備されていない現象では、これらの要素をただ大量に取り込んでも、ほぼ排泄されて、無駄にエネルギーが消費され-(マイナス)になるだけといえます。

そればかりか、客観的評価システムが十分に整備されていないということは公益とリンクする機能が不十分ということになる為、反公益性、グループ主義的なものの追及が先走ってしまうリスクが極めて高くなります。

グループ主義的利益を追及したヘッジファンドが自分達の利益を上げるために、虚業的マネーゲームによって国や社会の経済破綻さえも誘導する様になると、例え血液や酵素の機能を持っていたとしても、公益とリンクさせる機能つまり体を健康・健全に保つプログラムシステムを担う客観的評価システムが欠けていれば、それらを正しい機能させることができない状態で暴走させることになるので、ほぼ癌細胞化しているといってもいい状況といえます。

既得権益化・グループ主義化した大企業程、その様な営業力・金融力が重要視されてしまう文化が成立してしまうのはある意味必然のことかもしれません。

(大企業中心の社会に成る程グループ主義的・不健全な社会になることは別記事で詳しく考察しています。)

ニューエコノミー期のアメリカ、ドイツのミッテルスタンドをみても、ベンチャー企業や中小企業が活躍し、高収入・高待遇を得る社会こそが健全な成長性のある社会といえます。

そのためには、第三段階目の条件的客観的評価システム(ドイツの例から)、や政府にSDIRなどの適切なベンチャー・中小企業支援政策を進行させる業績評価の結果的客観的評価システムなどの整備(ニューエコノミー期のアメリカの例から)などの客観的評価システムの質・量共に充実した整備が必要不可欠となってきます。

 

この客観的評価システムの観点から、再び古代ギリシャに遡って見ていきます。

古代ギリシャの都市国家アテネが歴史上、初の民主主義の制度を導入しています。

アテネは直接民主制を採っており、民主主義の観点から言えば、より民意に反映した制度と言えます。

しかし民主主義自体には残念ながら公益をグループ主義から守る役割はないのです。それどころか金権政治や大衆政治などの主観的・情緒的でグループ主義的な主張が横行し、それらは特に直接民主制において傾向が強くなります。

但し民主主義から派生するものの中でそれらの欠点を補っても余りある大きなプラス面を持つものがあります。

結果的客観的評価システムの一つ政権党の政治に対して多数の国民による選挙を通じての支持率という評価、それに伴って政権を任せるという報酬を与えるというシステム(詳しくはこちら)です。

しかしながら、歴史上において、このシステムが民主主義から派生して導入されるのは後世の近代におけるイギリスが初めてであり、古代におけるアテネではマイナス面だけを背負う形となりました。

しかも、役人や裁判官も抽選制で選ばれ、任期は1年で交代したため、政治は素人の寄せ集めで行われる形となり、専門的分野での知識・経験の不足から、さらにポピュリズムに陥るリスクは高くなりました。

実際、デマゴーグという民衆の恐れ・偏見・無知など主観的・情緒的な感情に訴えることによって権力を得、国家的危機に際し、慎重な考えや行いに反対し、代わりに至急かつ暴力的な対応を提唱し、穏健派や思慮深さを求める政敵を弱腰と非難する第二次世界対戦時のヒトラーのような人々が好戦的な主張で民衆を扇動しました。

彼らの特徴として、後世のヒトラーなどにも共通することして、グループ主義に徹して民衆の集団欲を強く刺激し、狭い角度、真実 の裏打ちの少ない主観的な考え方を巧みな弁論・詭弁を武器に浸透させ、政界に進出していくというものがあります。

実際、デマゴーグの代表的人物とされるクレオンは弁論術を武器に民衆の人気を集め、スパルタとの和平案に反対し、民会で戦争の継続を主張し、このため戦争は続行されましたがアテネは適切な指導者を欠いたため、漸次敗北し、民主主義・大衆政治のアテネが全体主義・軍事教育を中心としたエリート主義のスパルタに降伏させられて、アテネの民主主義破壊されていきました。

また、客観的評価システムの整備が不十分である現在の日本でも、効果が客観的データに裏打ちされてない健康食品などの商品で莫大な利益を上げる人々(そして、彼らを成功者と追従する人々)、政治家としての知識・実績・能力よりも知名度・血筋などで選出される世襲議員やタレント議員(そして、彼らをその様な基準で選出する人々)などの主観的・グループ主義的要素で満ち溢れています。

 

客観的な評価システムがなければ、主観的・詭弁的な要素が蔓延してしまうのは、今も昔も同じことといえますね・・・

 

 

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