ドラマ「半沢直樹」は好きな番組で仕事の残業も無理やり切り上げて、毎週楽しみにして見てきました。
終わった後は「半沢ロス」的現象にも陥りました。
しかし、時間が経って落ち着いてみると、何がそんなに自分も含めて皆を惹きつけるのだろうかと考えてみました。
よくよく考えてみると、「半沢直樹」を見ている時にふとというか、時々違和感を感じることがありました。
対立関係の設定が強調されすぎてるのではないか?
一つの正義、勧善懲悪の要素が主であるストーリはよくありますが、その中でも感情的・攻撃的度合がmaxの様な気がします。
私たちが日常生活においてこの様なテンションで人間関係の対応をしてしまうと即社会人として退場しなければいけないことでしょう。
だからこそ、非日常的現象だからこそ視聴率が高いのかも知れません。
この社会においては、客観的評価システムがしっかり整っているとはいえない状態です。
である以上、主観・裁量的要素がほとばしることによって、不公平な事柄が多発したり、もしくは事柄が実際に不公平かどうかは関係なくとも皆がめいめいにそれぞれが不公平・不信感を抱くことが多くなることは致し方のないことといえます。
ただ、現実的には皆がその不満やうっ憤を抑え込み、我慢しているといえます。
その中でストレートにその感情を露にし、しかも最終的には必ず報われるという結末は、「水戸黄門的」安心感をもって、日ごろの現実的不満やうっ憤の解消を図るには最適なものといえます。
よって、自分も含めて皆を強く惹きつけるのではないかと思います。
ただ、これらの事柄を架空の世界に限定しておかないで、現実世界に拡張してしまうと、対立構造が激化し、--(マイナスマイナス)のall loser(全員が失う)結果に陥ってしまいます。
改革や一つの正義をもってことを進めることは、社会の利益にとって必須のことではあります。
しかし、そのために対立を激化させてしまうと逆効果です。
昔の封建時代や戦前のファシズム独裁の様な武力的圧制下とは時代が違います。
粘り強い忍耐力・交渉力によって、それぞれめいめいの分離した主観的状況から離脱し、それぞれめいめいの交差・統合した客観的結末に導かなくてはいけません。