では、次に『総論的』なものから、『各論』つまり、各国別に改革・改善対処方に関しての考証に移っていきます。
先ずイギリスから始めて行きます。
イギリスの欠点は、【Ⅰ】ジェントルマン資本主義の流れからの技術・実業軽視、金融・虚業重視の傾向と【Ⅱ】客観的評価システムであるエージェンシーなどの業績評価が十分に機能していない点です。
【Ⅰ】ジェントルマン資本主義の流れからの技術・実業軽視、金融・虚業重視の傾向を改善するには、ドイツ周辺国などのマイスター制度発祥の第3段階目の条件的客観的評価システムの整備が必須となります 。
AI など製造業に関する科学技術の技能を評価する資格や等級制度そして、それらの条件的客観的評価システムをフィードバック、裏打ちしていく結果的客観的評価システムなどは、基礎票などを用いて、十分に整備していくようにしていきます。
次に、【Ⅱ】のイギリスのエージェンシーなどの業績評価ですが、北欧諸国のエージェンシーと比較すると、市場メカニズム重視の傾向があり、その初期に導入された強制競争入札にしても、事業の効率性のみ焦点が当てられ、業績内容の質の向上はおろそかになり、改善が見られませんでした。
強制競争入札が廃止され、改良されたベストバリュー政策などが実施されましたが、基本的な傾向は変わらない上に、エージェンシーなどの公的セクターの報酬が民間セクターよりも上級職程低いために、回転ドアによる便宜供与が横行してきます。
この結果、業績における目標管理の内容の数値化やそれに反映した報酬体系は不十分なものとなりました。
これを改善するためには、カルヴァン派的市場万能主義・資本主義万能主義の考え方をまず払拭する必要があります。
(A)資本主義万能主義に派生するサプライサイド経済学やマネタリズムの右寄り政策と(B)ケインズ型のデマンドサイド経済学の左寄り政策の二択の対立軸による論争は全く意味がなく、客観的評価システムの機能の充実の観点で議論をしなければいけません。
前者(A)の資本主義万能主義的な考え方が全て良とするならば、政府規模が大きい北欧諸国や 官僚機構が取り仕切り、国全体が一つの会社化しているシンガポールが国際競争力・腐敗認識指数ともに、それぞれが世界最良値を常に維持していることが説明できなくなります。
但し、後者(B)ケインズ政策においても、結果的客観的評価システムの機能が不十分であれば、事業の利益性・効率性のみの客観的基準の評価は機能している前者(A)よりも劣る場合が多々あります。
大事なことは客観的評価システムの充実性を高めることにあり、両者の二者択一の議論をすることではありません。
前者(A)は一つの偏った客観的基準のみに頼り切ったもので問題外で、後者(B)にしても従来型のケインズ政策は、やみくもにデマンドを増産する客観的評価システムの機能の充実を全く無視したものがほとんどで、比較論として前者(A)の方が一つの基準がしっかり効いているだけまだマシな状態である場合も多くありました。
しかし、どちらも五十歩百歩の状態で、だからこそ二者択一の対立軸の論争が長く継続したとも言えます。
この低レベルの対立軸の状態を抜け出すためには、論点を客観的評価システムの機能の充実性の向上に移すことが必要不可欠となります。
イギリスにおけるエージェンシー等の業績評価の質の向上を実施していくには、まず公共セクターの報酬、特に最も公益に深く関与している、上級職に関してはどの民間セクターのものより優遇されたものに設定していくことが必須と言えます。
それに伴って回転ドアを原則禁止し、その代わりに官僚の身分保障を徹底します。
ドイツのように官僚に政党会派に属させて、上級職官僚は政党の得票率に比例して割り当て、野党化した官僚には休職制度を与えることによって、安定した民主主義から派生する結果的客観的評価システムの効果を官僚組織にも直接ダイレクトに波及させると共に、官僚の身分保障も同時に成立させます。
つまり、政官財の繋がりの中、民間であるため原則的に結果的客観的評価システムの機能分担を持たず、資本主義万能主義傾向にあるところの財界が発する(ⅰ)財➡官➡政や財➡政などの影響下の流れではなく、民主主義から派生する結果的客観的評価システムの機能を介する役割を担っているところの政が発する(ⅱ)政➡官➡財や政➡財の影響下の流れに持っていきます。
そうでなく、財界発の(ⅰ)の影響下の流れが中心になると、客観的評価システムが十分機能しないためにグループ主義が形成されやすくなり、強固な政官財のトライアングルの癒着構造が築かれてしまいます。
(ⅱ)の政➡官➡財の影響下の流れにする中で、発祥の政においては、そこに機能している結果的客観的評価システムの質を高めるためにも民の要素の影響下の流れに置くようにします。
民と財の違いは、個と集団の違いであり、同じ民間でも財は大きくなるほどグループ主義の弊害を生み出しやすくなります。
政を民の影響下に置くには、民の政をセレクトする際の選択肢、適切な判断材料・基準の豊富さに懸ってきます。
日本の地方の首長選のように、多数の政党の相乗り候補か共産党候補かの二者択一しかなければ、事実上民の政に対する影響力は皆無に近くなります。
また、民の政に対する知識・情報が不足しているとポピュリズムや不適切なミスリード的影響を及ぼしてしまいます。
これらの要素の豊富さが不十分な時は、政と民は切り離されてしまいます。
つまり、安定した民主主義から派生する結果的客観的評価システムが機能しなくなり、一部のグループによる主観的要素により、政は動かされていくことになります。
民は一人一人が社会を構成する本体であるのに、その意思や判断が無視・除外されたり、もしくは彼らが思考停止し、判断を委ねてしまうと、大半の民と隔離した一部の特権階級化したグループ主義に政が牛耳られることになります。
それらの特権階級は、世襲・閨閥・民族主義・宗教各派・官僚組織など様々な要因・由来が複合的に混み合って構成されますが、どのグループ主義においても自分達が大半のその他の民に対して能力的に優れていることを自分達が優遇される環境にあるべき理由として挙げています。
しかし、このような①少数母体からの選抜、主観的な政の運営と逆の②多数母体からの選抜、客観的な政の運営では、歴史的に見て後者②の方が圧倒的に繁栄し、国際的競争力・幸福度も高いことを見ると、その能力的優越性の正当性は極めて不確かに思えてきます。
ギフテッドと発達障害は表裏一体と言われるように、人の能力は長所と短所も合わせ鏡のように、何かに優れたものは何かに欠如しているのは、生物学上、自然の理であります。
また、客観的評価システムにおいても、先天的能力主義を評価するというよりも、後天的努力主義を評価するためのものと言えます。
イギリスのジェントルマン資本主義に由来する不労所得・虚業・金融業を是とする階層社会は、ある意味、先天的能力主義を評価する傾向のある社会とも言えます。
階層社会のイギリスに対して、マイスター制度が発達し、後天的努力主義を評価するアイテムが豊富であったドイツにおいては、先天的階層度合は緩やかなものとなっています。
よって、イギリスの改革においては、実業・科学技術の技能を評価する資格や等級制度を整備・充実させ、それらを基礎票などのシステムで裏打ち・フィードバックしていきます。
つまり、結果的客観的評価システムに補完された第3段階目の条件的客観的評価システムの充実を設定することにより、先天的階層社会の改善を行っていきます。
そして、並行して政を民の影響下に置くため、つまり安定した民主主義から派生する結果的客観的評価システムの質を高めるために、民の政をセレクトする際の選択肢、適切な判断材料・基準の豊富さを向上するようにしていきます。
それらを向上していくには、総論時に言及したオンブスマン制度を利用することによって行なっていきます。
オンブズマン制度を介することによって、最も待遇面が優れた政治分野にあらゆる分野から優れた多数の人材が集まり、優れた基準・多数の選択肢が生まれ、選挙倍率も上がります。
政治分野を目指す人達が圧倒的に増えるとともに、当然に全体的な人々の政治に対する関心・知識も飛躍的に向上していき、義務化・罰則などを導入せずとも、投票率も増加して行きます。
独裁国家の唯一の明確な長所とも言える、社会の利益と最も密接に関連している政治分野の待遇面が最も優れている点とルター派国家の北欧諸国の長所で、自決思想が根付いていることを意味する選挙倍率や投票率が高い点の両方を兼ね備えた形態を獲得できるようになります。
エージェンシーなどにおける客観的指標においても、余りに多くの重要度の低い指標を増やしすぎて、それらの正当な客観性 ・公益性を保つための管理費用の増大もしくは管理が届かないことからの主観性の介入などによる質の低下が起きてしまうよりも、 総括した重要度の高く、管理がしやすく、多重チェックができる主流指標に管理における労力や費用を集中させ、客観性や公益性の面で質の高い客観的指標にしていきます。
もちろん客観的指標の種類や数は多い方が良いですが、その増加から由来する客観性・ 公益性の面における質の低下が起きてしまうと逆効果になってしまいます。
確実に管理できる主流指標を徐々に増やしていき、細部の指標においては主流指標に付属させます。
つまり、主流指標によって評価されるエージェンシーの上官が部下の管理者を評価するための指標として、現場を直接把握し、管理しやすい立場の責任の下に利用していきます。