フランス革命にせよピューリタン革命にせよなぜ内部闘争が激しいのか?

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フランス革命にせよピューリタン革命にせよ、また明治維新にせよ大きな改革においては激しい内部闘争が付き物です。

 

フランス革命時の立法議会には様々な党派が存在しました。もともと、ジャコバン=クラブという政治勢力に固まっていましたが、革命の進行と共に分裂していきます。

裕福な市民や自由主義貴族を代表していた立憲王政派であるフイヤン派
富裕・中流市民や商工業ブルジョワを代表して穏健共和派であるジロンド派

急進的な共和派で、サン=キュロットという貧しい市民を中心に支持を受ける山岳派などです。

そして、ジャコバン=クラブに最後まで残った政党である山岳派が激しい争いの中で他の派閥を次々と追い出し、主導権を握りました。

指導した政治家は、ロベスピエールダントン、エミールなどです。

しかし、主導権を握った山岳派内部でも抗争が激化しダントンエミールといった山岳派の政治家が処刑されていきます。

ピューリタン革命においても、独立派のクロムウェルは長老派を水平派と結んで議会から追放すると、次には水平派を弾圧し、その指導者を処刑していきます。

始めは一致団結して改革を推進していくのに、大きな改革程、その後の内部闘争は凄まじいものとなります。

なぜでしょうか?

それは、②のアプローチと③のアプローチが大きく・根本的に相反するからです。(詳しくはこちら

大きな改革の代表例として民主主義改革がありますが、これには主として三つの流れがあります。 

民主革命時のカルバン諸国のようなグループ主義移行論的な流れ 

共産主義が介在して封建時代的状態を崩壊させる流れ

©ルター派諸国のように、他国や他地域の成功例を起点に、改革の基盤となる考え方、民主改革で言えば自決思想・平等思想が根付いている環境下での流れ

は無産階級が主体とするグループ主義といえるので上記Ⓐ、Ⓑはグループ主義移行論的な流れ、つまり、②のアプローチから③のアプローチを目指す典型的な形態といえます。

よって、改革後の激しい内部闘争が付き物となってしまいます。

特に、の共産主義は客観的評価システムの機能が極めて作動しにくい環境下になるため、さらにグループ主義化がデフォルメされ改革・改善というより、改悪の要素が強くなり、内部闘争の激しさはレベルの次元が違うほど凄まじくなります。

改革の望ましい流れとしては残る©の流れとなります。

改革全般的に適応できるように言い換えると、その改革の基礎となる考え方を普及させ、成功例を生み出すこととなります。

さらに特定の改革として、皆が幸福になるための客観的評価システムの質・量ともに整備された社会を構築するための改革に適応できるように言い換えていきます。

皆が幸福になるためには客観的評価システムの質・量ともに整備することが大事である考え方を普及させ、どこか世界のどこかで(小さい地域でも)、それを実践した成功例を生み出すこと となります。

 

 

 

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