②のアプローチである個人的な自分自身の周囲の他の人々との関係を良好にしていくということと③のアプローチであるの国・世界などの大きな公的社会環境をより良いものに改善していくということは、相反するのか?ということです。

この議題は各種の自己啓発本を読んで(七つの習慣)の記事から派生したものです。

②のアプローチは性質上感情・主観性などの問題の方が極めて重要です。➡詳しくは各種の自己啓発本を読んで(七つの習慣)(人を動かす)を参照して下さい。

③のアプローチには逆に客観性の要素が極めて重要になって来ます。

具体的史実からピックアップして見ると、分かりやすいのが、王安石の改革の時の君主である神宗に皇后は改革を止めるように感情的に泣きついています。

これは朝鮮の高麗時代の光宗(科挙の導入、奴婢の解放などの政治改革を行った)の皇后も同様の行為をしています。

皇后はある意味外戚・閨閥つまり血縁的グループ主義(改革の標的になる利権を追及する)の頂点に立つ存在です。

この様な行為をするのは当然と言えば当然です。

周囲の人間関係にあたる家庭内の問題を重視するのであれば、改革は取り下げるべきです。

しかし、社会全体、公益性を考えるにおいては客観的にも正しい行為である改革は取り下げるべきではありません。

この相反は、主観性を重視する儒教精神の強い古代中国の将軍が大きく国益に関わる急を要する軍務の要請を家族の法事を理由に拒絶した史実からも窺うことができます。

 

WinWinの関係が成立するためには、人間関係において接触・交流するもの同士でなければいけない形となります。

言い換えると個とその個との人間関係を構築できる周囲の集団内でのWinWinの関係を築き上げることができても、個とその個との接触・交流しないものがほとんどである社会全体とのWinWinの関係を築き上げることができないということになります。

個と集団、グループ主義的にWinWinの関係を築き上げることができても、個と社会全体・公益性とのWinWinの関係を築き上げることができないということはひいては必然的にグループ主義が蔓延りやすい状態になっているということになります。

接触・交流するもの同士間でのグループの結束、グループ内での幸福は実現できても、社会全体での紛争・対立を防ぐことはWinWinの関係を築き上げることができないため極めて困難といえます。

主観的・感情的問題に囚われ過ぎるのもグループ主義を助長することに繋がるリスクを否定できません。

また、ある程度ボリュームのあることを実践する労力を考えると自分の利益、周囲の人々を含んだグループ主義的な利益のレベルに限局しないと労力に見合ったものが回収できないといえます。

実際、社会的大改革においてはその後実権を握った者達の間で必ずといって内紛が起こっています。

では、社会全体での紛争・対立を防ぎながら、改革をするにはどうすれば良いのか?

もちろん、個と社会全体もしくグループと社会全体のリンクさせる客観的評価システムが整備されているとこれを防ぐことができます。

しかし、無い状態、充実されてない現況ではどうすべきか?

これを考えるに大きく参考になるのが、ルター派諸国(詳しくはこちら)での民主主義改革の流れです。

ルター派諸国では、他国や他地域の成功例を起点に、改革の基盤となる考え方、民主改革で言えば自決思想・平等思想が根付いている環境下で民主主義改革が比較的平和裏に、スムーズに進行しました。

これには、近隣に改革による成功例と改革を行う場において改革の基盤となる考え方が全般的に根付いてなければならないという二つの条件が必要不可欠となっていました。

つまり、客観的評価システムが質・量ともに整備された社会を成立させるには、それをⒶ特化させた成功例とⒷ客観的評価システムが質・量ともに整備されることの重要性を皆が強く認識することが必要不可欠になってくるということです。

Ⓑに関しては残念ながインプット(情報収集)とアウトプット(情報発信)を地道に、果てしない長い期間において掛けて行くしかありません。

Ⓐに関しては、小さくとも地方分権の整った地域で実践していくことですが、現在の日本では地方分権が余り整っていませんので、Ⓑに関する努力によって、重要性の認識を世界的に広めていくしかありません。

この途方もない道のりをどうモチベーションを維持しながら歩んでいくかはまた別記事にて考証していきます。

 

 

 

 

 

 

 

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