皆さんは、『今の日本は社会主義だ。北欧諸国も社会主義だ』という言葉をしばしば聞いたことがないでしょうか?

社会主義というのは独裁国家のイメージがあり、日本は独裁国家ではなく、一応民主国家の枠組みに入ります。

北欧諸国に関しては最も民主主義指数が高く、独裁国家からは最も距離のある国家ともいえます。

なぜこの様な表現が使われるのでしょうか?

その謎を解くためには時代を世界恐慌時、日本では大正・昭和初期、アメリカではフーバー大統領時代に遡らなければなりません。

その当時の社会主義の概念は政府が積極的な介入をするものを指し、資本主義の概念としては古典経済学的な極力介入を行わないものを指しました。

世界恐慌時、フーバー大統領が当時の資本主義の概念である古典経済学的な極力介入を行わない政策を貫いたことで、経済を致命的な状況に追いやってしまったことから、現在では資本主義の国とされる多くの国々の政府が積極的な介入をしています。

これを広義の社会主義とすると、現在の多くの資本主義国はこれに属することとなります。

よって、『今の日本は社会主義だ。北欧諸国も社会主義だ』のような表現が使われるということです。

つまり、ここでの社会主義という表現は広義の社会主義の概念で使われているということです。

それに対して狭義の社会主義の概念は、私有権を認めない共産主義的なもの(ほとんどが独裁国家となっています)を指します。

現在において社会主義といえば大体の人はこの狭義の社会主義の概念を頭に浮かびます。

大正・昭和初期の概念と現在の概念の大きな差を同一視させて表現してしまったことで、この意味不明な表現がうみだされてしまったということです。

政府の介入を否定するということは、民主主義から派生する結果的客観的評価システムの機能を極力抑えるということを意味し、それは安定した民主主義の構築を阻害し、自由からの逃走(❸の政府形態から❷の政府形態への逃走→詳しくはこちら)つまり、民主主義国家から独裁国家への移行を誘引させてしまいます。

政府の介入=狭義の社会主義という表現を使ってしまうと、積極的に政府(民主主義から派生する結果的客観的評価システムを十分に機能させた)の介入を行うことによって、安定・成熟した民主主義国家を形成した独裁国家から最も距離のある北欧諸国が独裁国家と規定され、古典経済学的手法に固執したために独裁国家に逆戻りしてしまった国をそうでないものとしてしまうパラドックスを生んでしまいます。

 

 

 

 

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