オスマントルコ帝国が拡大し、そして衰退した理由はその政府形態にあります。

政府形態(詳しくはこちらをクリック)は歴史的に見て、大きく次の三つに分けることができます。

❶国民により選ばれた政党などが中心に政府を構成する【民主国家

❷独裁者や絶対王政における君主などの一人の人物を中心に構成する 【独裁国家

❸複数の貴族・特権階級などが権限の少ない君主など代表者を表面的に立てながら、実権を握り、政府を実際的に中心になって構成するような国家【貴族制封建国家

時代的に言えば、西欧においては絶対王政時代になる前までの、東洋では科挙が根付くまでの国家は大体❸に当て嵌まります。

結果評価にさらされるのが前者二つの❶❷です。

後者❸においては責任を取るものが明確でなく、表面的代表者をすげ替えても、実質的な権力体制、問題点がそのままで改善されない場合が多く、社会が沈滞し、紛争が多発し、人々が貧困に喘ぐ傾向にあります。

総じて❸の要素の強い時代といえる中国や朝鮮においての科挙が根付くまでは、何百年もの内戦が繰り返されており、西洋においても中世の暗黒時代はカトリックのローマ教会と直接結びついた貴族制によって作られた停滞・貧困・争いの時代でした。

また、前者二つ❶❷を比較した場合、当然優れているのは❶民主国家の方です。

平和裏に政権を変えることができ、その度に改善を伴うことができ、安定した民主主義下では選挙における結果的客観的評価システムが機能するからです。

独裁国家の場合、リークアンユーが来るのか、ヒットラー来るのか、名君が来るのか、暗君が来るのか予測がなかなかつきにくく、さらに独裁体制が世襲制の場合は代を重ねることに質が劣化していく傾向にあります。

しかも、政権を変えるためには、暴力という手段を使わないとほぼ不可能で、民主国家に比べて極めてハードルが高くなっています。

よって、三つの国家を社会利益の観点で順番をつけると民主国家が❶位、独裁国家が❷位、貴族制国家が❸位とつけることができます。

しかし、結果的客観的評価システムが機能した❶位の民主国家】が登場したのは歴史的に近代からです。

よって、中世までは❷位の独裁国家か❸位の貴族制国家かが問題になります。

オスマントルコ帝国が❸位の貴族制国家ではなく❷位の独裁国家の要素を強めていったのは、イェリチェリの制度にあります。

世襲化しない皇帝の忠実な側近となった彼らは正に皇帝を中心とした❷位の独裁国家を成立させ、オスマントルコ帝国は拡大していきます。

しかし、最盛期であるスレイマン一世時代にイェリチェリ制度の拡大に伴って、世襲化が許されることによって、イェリチェリが既得権益化し、専横が目立つようになり、逆に❸位の貴族制国家の要素を強めるようになり、オスマントルコ帝国は衰退します。

これは中国の後漢時代の宦官制度と類似するものがあり、同様に世襲化するまでは皇帝の忠実な側近となり、皇帝を中心とした❷位の独裁国家を成立させますが、世襲化してからは既得権益化し、専横が顕著になり、国家は衰退していきました。

 

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