多数の領邦国家に分裂したドイツの中で、大きな力を持つようになるのが、北東部の東方植民によって生まれた国であるプロイセンです。

プロイセンは東方植民を 進めたドイツ騎士団国家を起源とします。

ドイツ騎士団は、十字軍の時代に設立された軍事力を備えたカトリック修道会で、北方十字軍の名目に東方植民を展開し、バルト海沿岸のスラブ系プロイセン居住地に進出・征服して、ドイツ人の国家、ドイツ騎士団領を作りました。

ドイツ騎士団国家は選挙で選ばれる総長を統領とした選挙君主制国家の形態を取りました。

結果的客観的評価システムを伴わない、民主制・選挙制は必然的に❸の政府形態(詳しくはこちらをクリックに陥ります。

神聖ローマ帝国における選帝制然り、黄金の自由におけるポーランド然りです。

近隣国のポーランドが、木造のポーランドに現れて煉瓦のポーランドを残して去ったと言われた名君カジミェシュ大王により、司法制度が整備され、貴族による権力濫用が押さえ込まれ、政治的・経済的弱者である農民は手厚く保護され、西ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人など国外からの移民も積極的に受け入れられることによって、ヨーロッパ大陸最大の国家となっていました。

つまり、名君による❷の政府形態より、ポーランドは大国に成長して行きました。

それに対して、❸の政府形態である小国のドイツ騎士団国は圧倒されて行きます。

ドイツ騎士団国の首都や大都市を含む地域がポーランドに割譲されていき、残る領土は東プロイセンのみとなりましたが、東プロイセンもポーランド王の宗主権の及ぶ地域と定められ、騎士団総長はポーランド王と封建関係を結ぶ臣下となります。

16世紀に入り宗教改革が始まると、ドイツ騎士団総長であったアルブレヒトはルター派プロテスタントに改宗し、対立した騎士団をプロイセンから追放します。

ドイツ騎士団国はアルブレヒトのホーエンツォレルン家世襲の公国とする世俗の領邦であるプロイセン公国に変わります 。

17世紀初期にブランデンブルク選帝侯国と同じホーエンツォレルン家を君子とする同君連合が行われ、三十年戦争後はフリードリヒ=ヴィルヘルム大選帝侯が国力増強に努め、17世紀半ばにはポーランドの宗主権から独立を勝ち取ります。

大選帝侯は、宗教的寛容の下、ヨーロッパ各地で追放されたユダヤ移民を受け入れます。

全てのユダヤ人を受け入れたわけではなく、1万ターラー以上の財産を持つ家族で、移住後は毛織物産業で働くことを求められ、商才のあるユダヤ人の力で国を富ませようと試みります。

その他、オランダ人の集団移住やユグノーの亡命受け入れなど、オランダやアメリカが移民の力により大国になったように、プロイセンも大国への道を歩み始め、ドイツの中の最有力な領邦となって行きます。

18世紀に入ると公国から王国に昇格し、王国を大きく発展させるフリードリヒ・ヴィルヘルム一世の時代に入ります。プロイセン王国の画像

フリードリヒ・ヴィルヘルム一世の治世において、代表的な政策はカントン制度メリットシステム(詳しくはこちらをクリック)の導入です。

カントン制度は各連隊に一定の地域を割り当て、その中で徴兵を行うもので、連隊は多く集めた方が評価が上がるため、徴兵可能対象者を限りなく多く名簿に乗せようとしました。

徴兵者は帰休兵であっても連隊に裁判権があることから、名簿に登録されているだけの者でも、管理の必要性を主張して、連隊貴族の支配侵食し始めました。

それまで貴族支配によって、国王直接国民を把握することが難しく、影響力が及ぶのはせいぜい郡長までと言われていましたが、移住や結婚の届けも領主の貴族に変わり連隊がするようになり、 国王やその官僚軍隊を通じて国民を把握していきます。

その結果、貴族の地位が低下するに伴って、国民の間に貴族の領民でなく、プロイセン王国の臣民であるという意識が広まります。

このカントン制度により生み出される莫大な軍隊を管理するためには、優秀な官僚組織は必要不可欠となり、そのために条件的客観的評価システムメリットシステムが世界で初めて導入されました。

官史養成機関としての性格を持つ大学の卒業生に国家試験の形で官史登用試験が実地され、貴族勢力を排除するとともに、優秀な人材を多く供給して行きました。

この二つの制度により、❸の政府形態の要素は極めて少なくなり、逆に❷の政府形態の要素が色濃くなって行きます。

対照的に、同時期のポーランドにおいては、16世紀半ばにヤゲウォ朝の血筋が途絶え、黄金の自由と言われる選挙王制が実施されることによって、❸の政府形態の要素が強くなり、大洪水時代の内乱・戦争などによって、国力は衰退し、次のプロイセン王フリードリヒ二世の時代には、プロイセンが主体となった三国によるポーランド分割が行われ、その後、計三回に渡って分割され、ポーランドは一時期的に消滅してしまいます。

これは正に三百年前の両国の状態が逆転する形となっています。

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