悟るということとは具体的にどういうことでしょうか?
自分自身が1、自分の周りの人々(家族・親族、友人・知人、自分の所属する組織や関連団体の人々など)が2、社会全体(国・世界など)の人々を3とした場合、今までの一般的概念で言うと(宗教的・道徳的視点から)1の2や3に対する究極というかひたすらというか徹底的な自己犠牲・奴隷的奉仕(欲や我を捨てて)のイメージがあります。
しかし、歴史的・現実的に見て行くと、そのようなシステムを追及した中世西欧の暗黒時代(救いの基準の裁量を武器とした寄附からの富・権益の集中におけるカトリック教会支配)や近代の共産主義国家(身を尽くして社会に貢献した人がしない人に対して奴隷的に奉仕する制度)、現代における新植民地主義的支配(コントロールされていない支援が腐敗・汚職を増大させ、支援国サイドの企業と被支援国の政権の強固な癒着が形成され、見せかけの支援・無用の長物はほとんど役に立たず、腐敗による対立の激化、貧困や混乱の増大、支援の名を借りた支援国の被支援国に対する実質的新植民地主義的支配の定着)を見ても、全く逆効果になっていることがわかります。
精神世界だけの理想主義を追及する過程においては良いのかもしれませんが、肉体を持った生物的・現実的実態としてはこれを追及することは全ての人々を究極的な不幸、地獄に突き落とすことになってしまいます。
では現実的には果たしてどのような状態になっているのでしょうか?
現実的には、人間の生物学的集団欲の強力な本能の作用によって(原始時代においてはこれによって集団を形成し、鋭い牙も爪も持たない人類が獰猛で強靭な獣と拮抗し、凌駕し、他の大型獣との生存競争に打ち勝って来ました)1と2が強力に結びつき、3の公益をそっちのけで無数の1と2の結合体(グループ、組織など)が利権をめぐって争いあうという歴史を永遠と繰り広げてきました。
しかし、科学力が進化するにつれて、争いにおける副作用の度合が幾何数的に増大してきており(地球文明の破綻レベル的に)、もうそろそろ全員が悟らないとまずヤバいという背水の陣的状況にもなってきているような気がします・・・
では、皆が争わず、幸せを享受するためにはどうしたら良いのでしょうか?
原始時代から脈々と他の動物との生物間競争のために強力にDNAに刻印されてきた集団欲の作用によって結び付いた1と2のグループ主義体を解き、1と3、2と3の結びつきを強めていかなといけません❕
そのためには、客観的評価システムが有効に機能しています。(歴史的観点から見ると)➡詳しくはこちらをクリック
実際的・現実的に見ても、客観的評価システムが整備されている国家程、争いなどが少なく、幸福度ランキングが高くなっています。(詳しくはこちらをクリック)
よって現実的に悟るということは、客観的評価システムをより高度に整備して(質的にも、種類・量的にも)行くことにあると思われます。
しかし、客観的評価システムなので、これは決して一人で悟ることはできません。
皆が恊力して、客観的評価システムの重要性を強く認識しながら、構築・運営していかなくてはいけません❕
つまり、全員が悟る必要があるのです。