ローマ帝国が滅んだ主原因として多神教だったローマが、一神教であるキリスト教を「ミラノ勅令」により認容し、国教化していったことがローマの長所である寛容性を失わせ、滅亡に導いていったという考え方があります。

自分の見解は少し違います。

キリスト教を入れる試みをするのはローマアイデンティが失われて代わりとなるものを模索・試行錯誤してからです(皇帝中心の❷の政治形態、分割統治など➡詳しくはこちら)。

しかし、キリスト教における主観性への依存で結果逆効果となり、確かに加速要因となりましたが、主原因ではなく、その大元の原因は補助兵を25年勤めれば市民権が与えられる結果的客観的評価システムアントニヌス勅令によって事実上に無力化してしまい、これによりローマ帝国を一体化した紐帯の時代に導いてきたローマ・アイデンティティが失われたからです。

ローマ市民権は特権であり、栄誉と立身への明るい前途を約束するものであり、ローマの公共善を維持することに忠誠心や義務を抱く人々にとって、ローマ市民であることは誇りであり、目標でもありました。

誰もが市民権を得られるようになると、属州民は向上心を喪失し、元来 の市民権保有者は特権と誇りを奪われて、社会全体の活力が減退することになりました。

また市民権を得るためには帝国の住民でありさえすれば良いとなると、蛮族は帝国内に移住さえすればローマ市民となって文明の恩恵を受けられると考えて、蛮族の大移動の大きな誘因にもなってしまいました。

しかも、ローマ市民権の相対的価値が急落し、命をかけて祖国を防衛する自負心が弱まり、ローマ軍の質的な低下が起こったために、蛮族の移動・侵略に対して、帝国の防衛線を防げない危機的事態が急増しました 。

実際にその後、間もなくして三世紀の危機と呼ばれる軍人皇帝の時代に入り、地方軍閥の指揮官が引き起こすクーデターの連続によって四分五裂の状態に陥り、半世紀の間に正式に皇帝と認められた者だけでも26人が帝位については殺されるという混乱が続きます。😥

暗君が続いても崩壊の危機を克服し、復活してきたローマが許容範囲以上の打撃を受けることになります。

その後、上記のローマアイデンティの代わりとなるものの模索・試行錯誤の迷走が始まりますが、主輪を失ったローマの崩壊を止めることはできませんでした。

 

 

 

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