お金=幸せという考え方は、救いの証の客観的基準を富の蓄財とし、富の追求を第一とする思想(キリスト教プロテスタントの予定説から生まれた)とそこから派生したカルヴァン派の神学者であり、国富論の著者であるアダム・スミスの資本主義万能説に通じるものがあります。

この世の中は、基本的に資本主義社会です。

現代社会においては資本主義制度は必須のものです。

原始時代や山奥に点在した集落など集団同士の接触がほとんどない状態で人口が少ない環境は、自給自足適しているのかもしれません。

しかし、人口が増加して集団同士が密接に交わり合う環境において、貨幣経済が成立せず、自給自足の社会なった場合は、慢性的な食糧危機に喘ぎ、大飢饉・疾病などによって荒廃を極め、食料・資源の欠乏のために、絶えず略奪・紛争が頻発てしまうことは歴史が証明しています。

人口が増加すればするほど、食料・資源が当然多量必要となります。

各自非効率自給自足自家生産では追いつくわけはなく、役割分担をして、それぞれが分担した生産物を効率的多量生産して、貨幣経済の下、交易流通の発達によって、各自に必要な食料・資源行き届くようにするしかありません。

また市場を無視した狭義の社会主義的物価統制は、古代においてはローマ帝国時代のディオクレティアヌス帝時代、近代においてはソビエト連邦を例にしても、歴史的に見ると、短期的に成功しても長期的には失敗に帰することは明らかです。

つまり、人口現代のように莫大になっている以上、貨幣経済とそれが発達してできた資本主義経済は代替えとなるものがない以上、必要不可欠なものと言えます。

また、貨幣などは客観的評価システム主たる媒介であり、これを欠くことは客観的評価システムの機能も、より優れた代替え物ない以上、極めて低下してしまうことになります。

しかし、それは所詮媒介であり、客観的評価システム自体ではありません。

それを有効に作用させるには、客観的評価システムの質と量懸かっていると言えます。

客観的評価システム不十分なほど、資本主義の欠点と言える問題が出て来ます

恐慌環境破壊帝国主義新植民地主義の流れをくむ紛争や戦争などが主たるものです。

資本主義単体肯定した スミスの小さな政府論は、利己心こそが経済活動のエネルギーであり、経済を発展させる原動力であり、皆が自由に行動しても、世の中全体として市場メカニズムが働き、調和されるので政府は最低限夜警国家でいいというものです。

しかし、実際にはそうはならず、投機が横行したり、過剰生産からの恐慌が起きたり、市場のメカニズムを機能不全にする財閥の市場シェアの独占が生じたり、経済の利益を追求するあまりに帝国主義新植民地主義が激化し、その延長上に国家間の紛争戦争が勃発しました。

また利益を最優先するため、大量生産・大量消費により資源を浪費し、公害や資源の枯渇などの環境破壊も進行しました。

これらが生じるのは経済利益が必ずしもイコール社会利益、公益ではないため、当然のことと言えます。

しかし、お金つまり経済利益イコール公益となればどうでしょうか?

この世の中の目指すべき指標・方向性が単純化・一本化され、みんなの努力のベクトルが効率的に集約されやすくなるのではないでしょうか?

では経済利益がイコール公益となるためにはどうしたら良いのでしょうか?

そのためには客観的評価システム(詳しくはこちらをクリック)を質・量ともに整備させることにより、資本主義万能主義的要素を社会利益主義的要素に転化させ、高収入の人=社会利益の貢献度高い人という理想的な構図を成立させるということが必要です。

これは(giveの要素)つまり、報酬が社会利益・公益の貢献に比例する形でとして与えられていると定義できます。

しかし、それだけでなく報酬として与えられたものが有効に与えられた人を使用した額に比例して幸福(useの要素)にしなければ、結果的にはお金=幸せとはなりません。

(giveの要素)もらうの具体的な例をあげていきます。

官僚に対する報酬(give)制度をシンガポール日本を対比してみていきますシンガポールの画像

シンガポールは戦後、隣国マレーシアのルック・イースト政策に先駆けて、日本をモデルに、日本が官僚主導の開発主義体制から日本株式会社と呼ばれたように、国というより、一つの株式会社と呼ばれるような産業の隅々まで、国・官僚のコントロールが行き届いた形態を創り上げました。

日本が、戦後の民主改革の恩恵により、一時期的にせよ多くのグループ主義が解除されることによって高度経済成長し、世界第二の経済大国になったものの、グループ主義の再構築によって、世界最大の政府債務残高(対GDP比)を保有するようになってしまったのに対し、同形態に思えるシンガポールは、健全に成長を続け、国際競争力・国際格付、腐敗指数など全て世界の最良・最上位のレベルを保持し続けています。

両方、官僚主導とする一つの株式会社と称される形態であるのに、一方は腐敗・癒着による無駄遣いによる借金大国になり、一方は官僚機構に関する調査でアジアで最も官僚の弊害が少ない評価を受ける違いはどこから来るのか?

それは、官僚の報酬体系から読み解くことができます。

日本においては天下りという非公式で、癒着性の高い、加えて上司や政官財のグループ主義などの主観的裁量の影響を受けるものを主体としているのに対して、シンガポールでは官僚の報酬はGDP成長率という客観的指標と連動し、国が成長すると報酬が増え、停滞すると報酬が下がります。

二十世紀末に一人辺り国民所得がかっての宗主国イギリスを抜いた時、政府は閣僚と高級官僚の給与を大幅に引き上げて、その労に報いました。

この結果的客観的評価システムによって、シンガポールの官僚は企業の業績を上げ、国を成長させることに全力を傾けます。成長の画像

一方では天下りのなどのシステムによって、日本の官僚は公益に相反するグループ主義に邁進することになるのです。天下りの画像公益とリンクさせる客観的評価システムの指標をGDPだけでなく、環境保護・健康寿命などのさまざまな分野に拡張していけば、より望ましい形となります。

 

次に(useの要素)使うの具体的な例をあげていきます。

《介護分野》

民間の有料老人ホームでは入居一時金が高額であるケースが多くあります。

月額利用料も含めて、サービスと費用の明確な客観的な相関関係の情報の取得において利用者の多くの方々が悩まれているのではないでしょうか?

それら二つのものとは着手金と現在進行形の利用料という形になりますので、そこには結果的客観的評価システム的なもの

は関与していません。(条件的客観的評価システム的なものとしては、入居者数に対してスタッフの数・勤務体制、スタッフの経験年数や退職者の状況、スタッフの保有資格とその人数・勤務体制などが有りますが・・・)

実質的に客観的評価システムと言っても、結果的客観的評価システムの方がフィードバック的改善作用を持って効果が高く、導入されやすいという長所を条件的客観的評価システムは持ちますが(詳しくはこちら)、主は結果的客観的評価システムにして補足的に作用・機能させることが望ましい形態といえます。

少なくとも、一つは結果的客観的評価システム的なものを導入すべきと思われます。

では結果的客観的評価システム的なものをどうすべきかという問題ですが、成功報酬という表現も少し的確ではありませんが、利用者がどれだけ快適・健康に長期間において利用したかという基準において、利用者の遺産から配分を受けるという方法で対処していきます。

利用前に血液検査・X線検査など徹底的な客観的データー的な健康診断を実施し、それがどれだけ保持され、健康寿命、平均余命などによって、、利用後報酬が変わってくるというものです。

「介護期間は平均4年7ヵ月」という統計がありますが、介護期間が短い程、入居一時金が高額であるほど事業者の報酬は実質的に高くなりますが、そうではなく、逆に平均余命が高く、介護期間が長い程報酬を得られるようにあるべき形態にしていくということです。

その際における利益相対関係者としての利用者のご家族や公的組織(国・地方公共団体など)によって報酬における客観的データー・数値の改竄などが行われていないか、適正なものかの随時チェックがされるようにもしていきます。

《教育分野》

所得補償をする学校というものが日本でもネット上一時期紹介されたことがあります。

今の日本の実情を考えると実施し、根付かせるのは非常に困難であると思われます。(発想はすごく良いと思います。結果的客観的評価システムを効かすということですから)

これを実質的に実施しているのが北欧諸国のデンマークです。

デンマークではあらゆる職業でライセンス(資格)を持っていることが義務付けられていて、ライセンス所有者は職種による最低賃金が保証されています。

職業教育を終え、専門職のライセンスを得、実務経験を得た後でさらに同種のグレードアップした職業資格を取得することも可能です。

例でいうと、産業挙育コースの課程を修了して卒業資格を得て庭師になると40万程の月給が、さらに農業学校を卒業して農業技師の資格をとると50万、大学を卒業して造園設計技師の資格をとれば60万程の月給が保証されます。

これらは第三段階目の条件的客観的評価システムに相当します。(詳しくはこちら

ただ、条件的客観的評価システムである以上【条件的客観的評価システム←結果的客観的評価システム】の補完性がないと高度な第三段階目であってもマイスター制度の手工業マイスター(工業マイスタではなく)のように硬直化してしまう可能性があります。(詳しくはこちら

デンマークでもドイツでも民主主義から派生した結果的客観的評価システムが整備・機能していますが、それだけではなく、直接的に強く作用する結果的客観的評価システムのプラスαがある方が硬直化のリスクをより回避することができます。

直接的に強く作用する結果的客観的評価システムの具体化を考証していきます。

条件的客観的評価システムの教育や試験などを統括する機関が、卒業生の国への納税額などを基準とした結果的客観的評価システムのコントロールを受けるというものも一つの方法です。

つまり、卒業生の納税額の総計が大きければ、機関や大学は国などから補助金などを報酬として、総計に見合って受け取り、小さければ減額されてしまいます。

納税額や収入などの金銭的な基準は、それだけでは資本主義万能主義的(詳しくはこちらなものになりがちですが、複合的に重ねて客観的評価システムを関連させることによって、社会利益主義的な指標に転化することができます。

社会に質・量共に整備された客観的評価システムが機能することによって、納税額や収入なども社会利益主義的寄与度を表すものになって行きます。

一例としては、金銭的利益に直結していかない社会利益主義的な研究やプロジェクトに関しても、客観的評価システム 下で評価され、国から莫大の報酬金が付与されるなどによって、金銭的指標である納税額なども社会利益主義的色合いを帯びてくることになります。

それらを同時・並行に実施することによって条件的客観的評価システムの欠点を補い、全体的な客観的評価システムの整備を充実化することができます。

これらの(giveの要素)もらうと(useの要素)使う二つの要素が揃わないとお金=幸せとは決してならないのです。

しかし、この二つの要素は密接にリンクしています。

両方とも、お金を介在とした人が行う経済的活動だからです。

ある人から見ると(giveの要素)となっても逆の方向から見ると別の人にとっては(useの要素)となるからです。

よって、あらゆる人々の経済・社会・政治活動において、公益とリンクした客観的評価システムを十分に整備させることがお金=幸せの構図を成立させることになるのです。

実際的に客観的評価システムを十分に整備させている国程幸福度が高いことがそれを裏付けしています。(詳しくはこちらをクリック

 

 

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