愛憎も正義・悪も全て幻想と考えることが実は人々の対立・争いを消滅させるというお話をしていきます。

歴史上、名君はどのようにつくられるのか?(詳しくはこちらをクリック)の記事でも述べさせていただいていますが、人は表面的な雰囲気、外見上のものだけで評価し、それを内面的な全ての評価に類推延長してしまいがちです。

正義・悪という概念も主に宗教的につくられることが多いですが、悪魔というのは実は他の宗教の神様がモチーフになっているケースがほとんどです。

客観的に見れば、どの宗教の教えも基本的・本質的には皆同じように感じます。

表面的な細かいデイディールの違いを主観的に大きく広げ、正義・悪という概念まで拡張させてしまっているように思われます。

愛憎にしても、愛が表面的な雰囲気、外見上のものだけで評価し、それを内面的な全ての評価に類推延長してしまう幻想によって創られ、その幻想に気付き、解けたときに憎が生まれるとしたらその幻想・主観的な拡張を未然に防ぐことが人々の対立・争いを消滅させることに繋がるのでは?と考えました。

そのためにはどうしたら良いのでしょうか?

判断基準が表面的・主観的な細かいデイディール・雰囲気、外見上のものだけでなく、公益に沿った客観的評価システムなどの他の判断基準が十分整備されていれば、多角的に判断することができるのではないでしょうか?

実際的歴史的に見ても、公益に沿った客観的評価システムが整備されている国程、対立・争いが少なく幸福度ランキングが高いこともそれを裏付けています。(詳しくはこちらをクリック

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