『知ってはいけない金持ち悪の法則』とは、元国税調査官である著者が「富裕層が富裕層であり続けるカラクリ」「日本経済のウラ」を書いた本です。
本の主題は、『金持ちの99%は何らかの「悪事」を働いていおり、それは少しばかりの「性格が悪い」というようなライトな悪ではなく、その実情を知れば、誰しもが激しい嫌悪感を抱くような、かなり「本格的な悪」である』というもので、
詳細の内容としては
「日本は自由で公正な国だと思っているかもしれない。
自由主義、資本主義の国だから能力があり、努力すれば報われるはずだ。
法律も経済のルールも一応国民全体が公平、公正になるようにつくられている。
しかし、それは表面的なものである。
日本経済は一皮むけばアンフェアそのものである。
富裕層は政治に働きかけて様々な形で規制をつくり、競争相手を潰したり、自分たちだけに恩恵のある税制や補助金を獲得
してきたりする。
政治家には献金するが税金は出し惜しむ。」というものです。
この本を読んだ方々は、自分自身がそうだったように、憤りやショックを感じた方々も多いのではないかと思います。
しかし、落ち着いて考えてみれば当然のことといえます。
資本主義自体には元々強固な客観的評価システムの作用・機能は有りません。
それを補うために、民主主義から派生した結果的客観的評価システムの作用・機能を包有する政府のコントロールが必要とされてきます。
しかし、これらが戦後のイギリスのように、非民主主義的になってしまった労働組合に支配されたり、同様に日本の官僚の暴走によって生み出された、非民主主義的である特別会計の問題などが生じると、民主主義から派生した結果的客観的評価システムのコントロールの作用・機能が正常に働かない状態となってしまいます。
つまり、国会のチェックがほとんどされない特別会計が全予算の八割方を占め、それによって裏打ちされた天下りの人事によって、公益性に反する利益を官僚機構が追及してしまいます。
公益に対するマイナス的評価システムともいえる天下り人事に伴って、受け入れ企業側への規制・補助などに関する利益供与の付随、非効率な外郭団体の存在により、自由競争が阻害され、無駄な財政支出が増大することによって、日本は莫大な世界一の財政赤字国となっています。
また、数値指標による業績管理という結果的客観的評価システム(イギリスにおいて、メジャー政権からで導入された政策立案以外の執行部門の委託を受けたエージェンシーに対して、契約した結果が出なければ賠償責任を負わせ、出れば結果に合わせて報酬を与える結果的客観的評価システム)やシンガポール特有の客観的評価システムとして挙げられる公務員給与がGDPと連動している結果的客観的評価システムなども現在の日本においては、整備されていません。
条件的客観的評価システムに関しても、メリットシステムと密接に結びついている学歴の頂点にある東大の合格者の家庭の年収は、高度成長期には合格者の家庭の年収は平均年収より低かったのが、徐々に上がり、現在でははるかに高い世帯年収となっています。
歴史的に見て、後天的な差が出るのが健全で社会が発展し、先天的な差が出るのが不健全で機会の平等が成立していない証拠といえます。
アメリカの経済をリードするベンチャー企業のトップの多くはハングリー精神が旺盛な移民一世か二世であることを見ても、機械の平等つまり、公平性がしっかり担保されていれば、必然的に平均的には、低年収の家庭から成功者が出ることが多くなるといえます。
戦後改革によって、戦前と異なって、選挙による政権党の政治の評価、他の機関の干渉を受けないでの国民大多数による審判、政権党から選ばれた首相が実権を握って評価の対象となり、責任を持つ政策・政治が行える環境が整えられ、システム的には結果的客観的評価システムの裏打ちを得られる状況となりました。
しかし、日本の政治において、政党という存在は戦前の流れから、政治上の政策・主義の相違を前提に集まる政治団体という性質以上に、地縁的・職縁的に大同団結していく利権団体の性質の要素が強く、政治家は政策を学ぶよりも、年間何百回にも及ぶ新年会・結婚式・盆踊りの顔出しが重要視され、政治家になるのも利益団体を引き継いだ血縁的世襲された二世三世の政治家か、団体や建設会社などの利権導入を担う者、中央とのパイプ役としての官僚位で、例外的に知名度を利用したタレント議員などでした。
純粋に政策を学び、政治家を志す者を送り出す場として、一時期的に松下政経塾がありましたが、教育システム・カリキュラムなどが客観的評価システムに裏打ちされたものでなかったため、ただ籍を置いただけで立候補する者が続出し、廃れていきました。
政策通として担う役割を果たすべき官僚も戦前の時と同様に、政官財全般に渡る官僚閨閥図(戦後民主改革によって一時期的には、完全ではないにせよ、かなりの部分は取り除かれましたが)を戦後においても再形成し、政策通グループというよりも、利権グループの中枢的役割の要素が強いものになっています。
日本の国勢選挙での投票率は半分程度しかありません。
それに対して、北欧諸国の投票率は高く、デンマークを例に出すと、国政選挙で90%程度をキープしています。
候補者も多く、議論点のいくつかの賛成・反対の選択によって、どの政党・候補者と自らの考え方が近いかを確認できるシステムもあります。
そして、二世議員という慣習もありません。
衆愚政治の原因には、選挙民が識字率が低かったり、無教養であったり、政治に興味を示さないことや選挙民に選択肢が少ないこと等があります。
選択肢が少ないと比較する評価ができないので客観的評価システムの機能が十分働きません。
客観的評価システムが機能しなければ、改善は進行しにくいので、どこに入れても同じだと選挙民は無気力感から政治に興味をなくし、衆愚政治化はさらに加速されていくことになります。
この様にさまざまな客観的評価システムにおいて、現在の日本では機能度が低いものとなってきています。
そうなると当然ながら、資本主義万能主義的要素を社会利益主義的要素に転化させる機能度も低いものとなるので、資本主義万能主義的格差が特化することになります。
つまり、高収入の人=社会利益の貢献度高い人という理想的な構図(社会利益主義的格差の特化)が成立しにくいということです。
客観的評価システムの整備が不十分であればグループ主義が跋扈します。(詳しくはこちら)
本にも『金持ちは徒党を組むことで、利権を維持しえたのである。
大きな力を持っているはずの金持ちでさえ、徒党を組まないとやっていけないのだ。金の力を持っていない普通の人々が徒党を組まなければ、武器を持たずに戦うのと同様である。
徒党を組むことができないのならば、この厳しい経済社会を一人で戦い生きてゆくことになり、必然的に負けてしまうのだ。それは火を見るより明らかである。
金持ちは「徒党を組む」という努力をしている。普通の人が、その努力をしなければ、絶対に金持ちに勝つことはできないのである。』と書かれています。
しかし、その様なグループ主義的な資本主義万能主義的格差が蔓延すると、一時期的、分野的に+(プラス)になってもひいては国力の低下に繋がってしまうのは、ジェントルマン資本主義(特に資本主義万能主義的格差の傾向が強い)が特化したイギリスを見れば分かります。(詳しくはこちら)
本にも「最終的に富裕層を優遇する各種制度で一時的に儲けてもそれらのことは日本の国力を低下させることになる。日本が
沈没すれば円の価値も下がり、日本人の金持ち感もなくなる。
日本企業の製品の購買者の多くは日本人なのにその購買者を貧乏にする政策を企業は働きかけている。このまま日本は沈没していくのだろうか。」と書かれています。