確かに、王莽のした政治は社会の利益という観点では大きなマイナス的効果・作用を及ぼしました。
儒教帝国と呼ばれる位儒教一辺倒の国家を創り、現実性に欠如した各種政策は短期間で破綻、貨幣の流通や経済活動を停止したために民衆の生活は前漢末以上に困窮し、民衆の反乱が続発し、十五年という短期間に新王朝は滅んでしまいます。
しかし、王莽の目指した方法論は別にして、方向性・目的は必ずしも間違っていたわけではありません。
土地の国有化は小作人を苦しめていた豪農への対策であり、周代の官僚機構を用いて改称を行ったのは、増え過ぎた官僚のリストラも目的としたものでした。
その他にも奴隷売買の禁止、高利貸よりも安い金利での国家からの融資政策などがありました。
一見しますと善政の様にも見えますが、なぜこれらが稀代の悪政となったのか?
儒教は精神・理想主義、徳治・人治主義からくる主観性の重視、家族血族主義などが根本にありますが、王莽はこれに固執し過ぎたと言えます。
偏った主観的人材登用を行ったために、人材が不足し、政務が滞り、不正が跋扈しました。
また、黄河が氾濫した時も、工事をした場合に王莽の先祖の墓が水没する危険があったために、必要な処置を国益・公益よりも家族血縁主義を重視して行いませんでした。
儒教の考え方は祖先や家族を大切にし、礼や道徳を尊ぶ貴重な要素が多く含まれています。
しかし、それらはミクロ的・私的な環境下で重要視すべきであり、古代周の時代の様に公(おおやけ)の単位がミクロ的な場合は別にして、時代が進行して、マクロ的になった環境下でそれを重視することは極めて適さない形となります。
歴史的に見て、社会が大きく複雑化した国家レベルになった場合に主観的裁量主義を採用してしまうと集団欲が暴走し、国を衰退させてしまうことは必然となります。(詳しくはこちら)
ただ、当時においては今の様に、歴史的検証する資料が極めて少ない状態でした。
後世においてにおいて、逆に社会の利益という観点では大きなプラス的効果・作用を及ぼした坂本龍馬や北一輝の場合は近代という時代背景とその中でも豊富な情報源がありました。(坂本龍馬は当代随一の情報通の勝海舟など、北一輝は早稲田大学など)
現代の我々は、紀元前後の王莽の時代は勿論、近代よりもはるかに恵まれた歴史的検証する資料・豊富な情報が与えられています。
歴史上の人物は全ての人が精一杯、それぞれが正しいと思われる生き方をして、後世の人々の為に大きな知恵と教訓という宝物を残してくれている偉人だと思っています。
大事なことは、これらの宝物を後世の私たちが個人的非難に徹することなく、検証・考察・熟考し、十分に活かすことにあるのではないでしょうか?