歴史的観点でみると、社会利益を生み出す改革行為は個人レベル組織レベルでも残念ながら正当に評価されにくいことが実感されます。
古代中国まで遡ると、何百年という戦乱・内乱状態であった春秋・戦国時代の中国を統一に導いた法家の改革者(商鞅・呉起etc)は君主の後ろ楯を失うとほぼ失脚し、悲惨な末路を迎えています。
北宋の新法の改革で有名な王安石も北宋滅亡の原因として間違った解釈の下、最悪の政治家として清末期まで800年近くの間において非難されました。(詳しくはこちらをクリック)
日本においても、多くの農村や藩の改革に貢献した二宮尊徳も、後ろ楯の藩主が亡くなった後は故郷が抵抗勢力に牛耳られたために、長い間戻ることができませんでした。
組織レベルで見ても、戦前の朝鮮半島に対して日本本国から莫大な資金が注入されることにより、インフラが整備され、教育制度をがしっかり構築され、幼児死亡率は飛躍的に下がり、平均寿命もどんどん伸びて、識字率も格段に上がりましたが、余り韓国では評価されずに、非難・批判が先行する反日思想に満ちています。
なぜでしょうか?
それは人の集団欲の作用と思われます。(詳しくはこちらをクリック)
ではその作用を打ち消すにはどうしたら良いのでしょうか?
やはり、客観的評価の要素を添加してあげるしかないと思います。
もし、その改革行為(個人でも組織でも)が無かったたら、もしくは継続されていればどう歴史が変化したかを中立的立場にある人々・国家が複数AI等でシュレーションすることが大切であると思います。
法家の改革者が登場しなければ、中国は統一されずに戦乱・内乱状態が永遠に続き、多くの後世の人々が地獄の争い・対立の無限ループに喘ぐことになっていたと思われます。
また、王安石の改革が継続されれば、北宋の滅亡はもっと後世のものになり、その間の安定した世情は人々を幸せに導き、それを生み出したシステムの普及が世界的に広がっていた可能性があります。