政治家は民主主義が生み出したものである為、「政治主導」の良し悪しは主として民主主義から派生する結果的客観的評価システム(詳しくはこちらをクリック)の整備度合を反映します。
先ず、日本における条件的客観的評価システムの整備・機能度合を見ていきます。
大学は、官僚などの公務員をはじめとする様々な職業の公益に対する条件的評価システムの基礎となるものです。
日本の大学では補助金・助成金の獲得のために、多くの天下りを受け入れ、癒着の温床となっており、教育の質を高めることに対する方向性が必然的に薄くなっています。
条件的客観的評価システムの歴史的に見た質の進歩度合いとしては、先ず初歩的な第1段階ものとしては、科挙があり、次に 第2段階として、学歴に基づいたメリットシステムがあります。
そして、第3段階としては学歴以上に社会の利益に則したものとして、ほぼ全職業に網羅された職業資格認定・技能鑑定制度があります。
スイス・デンマーク・ドイツなど国際競争力の強い国々の多くは、この第3段階の度合いにあるシステムを導入しています。
大学での専攻内容が、卒業後の職業に直接結びつくことが基本形で、日本のように学歴を基準に企業に就職するのではなく、実学重視のカリキュラムの中での成績評価GPA などを基準に特定の分野の特定の職種というようなスペシャリストとして就職していくアメリカのシステムは第3段階の度合いに準ずるシステムと言えます。
対して日本においては、スイスやアメリカのような結果的・客観的フィードバック機能がなく(スイスの大学では、教育の質を評価し、向上させるために、360度評価である講師及び事業内容を学生に評価させ、さらに2年ごとに卒業生に大学の勉強が現在の仕事に実際役立っているかなどの質問における結果が公表されるなどの客観的なフィードバックシステムがあり、スイスの国際競争力が世界最上位クラスであることの大きな要因の一つになっています。アメリカの大学においても同様に、学生が担当教授の評価をすることが義務付けられています。)、教育の質を高めることよりも、天下り先を増やすことに方向性が向いている官僚の主観的なグループ主義的干渉が強く働いています。
そのため、日本の条件的客観的評価システムの進歩度合いは、第2段階目の学歴に基づいた段階で、長く停滞しています。
スイスやアメリカの大学生はよく勉強し、日本の大学生の勉強時間は国際平均に比べて圧倒的に低いと言われています。
アメリカやスイスでは様々な試験による評価が課せられ、それを通過しないと卒業できないため落第率が高く、卒業率が低くなっています。
また、アメリカの GPA などの評価は企業に就職する際に、大きく考慮されます。
大きく将来に関わってくる評価システムがあるため、皆が必死で学んでいきます。
また、教授サイドも、その勤勉な学生からのフィードバックによる評価に曝され、質の高さを求められるため、優秀な人材が国内外問わず集められることから、アメリカもスイスも半数以上の教授は外国人が占めています。
それに対して、日本の大学生のほとんどは卒業し、その成績も就職にほとんど関与しないため、つまり評価に曝されないことから、皆が余り学ばなくなります。
日本の就職において、評価の対象になるのは主に学歴です。
しかし、学歴は大学入学試験における国語・英語・数学・理科・社会などの教養科目に対する評価になります。
教養科目は、実際的に、社会の利益を直接的に生み出す実学とは距離があります。
主にその実学を学ぶ場が大学であるのに、それに対する評価はほぼ存在しないため、皆が教養科目を対象とした大学入試では必死に努力しても、大学に入ってからは余り学ばなくなるのです 。
また条件的客観的評価システムの代表的欠点として結果的客観的評価システムのコントロールが働かない状態で制度が一度定着すると、それによって創られた組織が固定的に硬直化し、公益に反してグループ主義に特化してしまう性質があります。(詳しくはこちら)
つまり、結果的客観的評価システムの機能・整備度合によって条件的客観的評価システムの機能・整備度合も大きく影響を受けるということです。
次に、その結果的的客観的評価システムの日本における整備・機能度合を北欧諸国との対比で見ていきます。
日本は世界最大の政府債務残高(対GDP比)を保有してしまっていますが、日本以上に福祉国家であり、大きな政府である北欧諸国の政府債務残高(対GDP比)では日本の四分の一以下で、腐敗認識指数・国際競争力も世界最良位レベルを諸国それぞれが保っています。
この日本と北欧諸国の大きな差を生み出した原因は、民主主義から派生する結果的客観的評価システムの機能・整備の度合にあります。
選挙においては、日本では候補者の名前を連呼するような認知度・知名度など主観的要素を競うことを主とし、政治家は政策を学ぶより、新年会・忘年会・盆踊りなどの顔出しが重要視されますが、スゥエーデンでは、政策論争を中心とした静かな討論・対話集会が一般的で、各政党のマニュフェストを叩き台にした具体的な政策論議が進められます。
政治主導による政策の実行で政策党の公約の七割から八割はスゥエーデンでは実行されていきます。
抽象的な公約しか掲げられず、余り守られない日本とは対照的です。
また、投票率も、定員に対する立候補者数も圧倒的にスゥエーデンは日本を上回っています。
民主主義から派生する政権党の政治に対して多数の国民による選挙における得票率という評価と政権を任せるという報酬という結果的客観的評価システムでは他の野党との対比や選択肢の豊富さがその機能の充実度に直結しており、マニュフェスト等により具体的な公約が示され、過去実績において七、八割実行されていることは政権を任されていない野党であっても、政権獲得後のビジョンが把握でき、与党の代わりとなる選択肢になり得ると共に与党の実際の政治と以降の方針であるマニュフェスト等との対比にもなることから、日本の様にマニュフェストが抽象的で余り守られないことと比較すると機能の充実度がかなり高いといえます。
選択肢がなかったり、対比がしにくい状態では、当然投票率も下がり、日本の地方の首長を決める選挙では、相乗りの候補と共産党の候補の二択しかないことが常態化して、投票率も20%台とかなり低率になることもあります。
投票率が下がると一部の利権団体の影響力が大きくなり、正当な評価がされにくくなるという悪循環に陥ります。
また、民主主義から派生する結果的客観的評価システムを反映する政府のコントロールを阻害するグループ主義的要素が強ければ当然、その結果的客観的評価システムの作用は弱いものとなります。
日本における特別会計制度や天下り制度はまさにその代表的強力なグループ主義的作用を思う存分発揮し、逆に結果的客観的評価システムの作用は微弱なものに転化させています。
つまり、日本ではグループ主義を制御する客観的評価システム(詳しくはこちら)の機能・整備度合が条件的客観的評価システムにしても結果的客観的評価システムにしても十分にされていない状態といえます。
この様な状況下では、結局はグループ主義が跋扈し、癒着・不正が続発してしまいます。
大事なことは「官僚主導」か「政治主導」よりも客観的評価システムの機能・整備度合であることが分かります。
そのことを証明する国家が日本以上に「官僚主導」体制を採り、しかも独裁国家であるシンガポールです。
シンガポールは戦後、隣国マレーシアのルック・イースト政策に先駆けて、日本をモデルに、日本が官僚主導の開発主義体制から日本株式会社と呼ばれたように、国というより、一つの株式会社と呼ばれるような産業の隅々まで、国・官僚のコントロールが行き届いた形態を創り上げました。
日本が、戦後の民主改革の恩恵により、一時期的にせよ多くのグループ主義が解除されることによって高度経済成長し、世界第二の経済大国になったものの、グループ主義の再構築によって、世界最大の政府債務残高(対GDP比)を保有するようになってしまったのに対し、同形態に思えるシンガポールは、健全に成長を続け、国際競争力・国際格付、腐敗指数など全て世界の最良・最上位のレベルを保持し続けています。
両方、官僚主導とする一つの株式会社と称される形態であるのに、一方は腐敗・癒着による無駄遣いによる借金大国になり、一方は官僚機構に関する調査でアジアで最も官僚の弊害が少ない評価を受ける違いはどこから来るのか?
それは、官僚の報酬体系から読み解くことができます。
日本においては天下りという非公式で、癒着性の高い、加えて上司や政官財のグループ主義などの主観的裁量の影響を受けるものを主体としているのに対して、シンガポールでは官僚の報酬はGDP成長率という客観的指標と連動し、国が成長すると報酬が増え、停滞すると報酬が下がります。
二十世紀末に一人辺り国民所得がかっての宗主国イギリスを抜いた時、政府は閣僚と高級官僚の給与を大幅に引き上げて、その労に報いました。
このシンガポール独特の結果的客観的評価システムによって、シンガポールの官僚は企業の業績を上げ、国を成長させることに全力を傾け、「官僚主導」体制を適格に運営しているのです。
一方では天下りのなどのシステムによって、日本の官僚は公益に相反するグループ主義に邁進することになってしまっているのです。
また、前述したように民主主義から派生する結果的客観的評価システムの機能・整備の度合が充実しているスゥエーデンなどの北欧諸国では「政治主導」体制が適格に運営されています。