「バズる」とは、ブログなどの情報や発言に対して短期間で爆発的に拡散されたり、口コミが広がったりする様子を表現した言葉です。
FacebookやTwitterといったSNSで情報が一気に拡散し、閲覧数が急上昇したときに「バズる」または「バズった」と表現されます。
バズると弁論術には共通性があるような気がします。
両方とも攻撃的・主観的・グループ主義的が強く働く傾向にあるからです。
古代ギリシャの時代には、ソフィストといわれるところの弁舌に長じた哲学者達を多く輩出しました。
ソフィストは、前5世紀ごろ、アテネなどのポリスの市民に、弁論術などを教えて報酬を受ける、いわば家庭教師たちのことを言い、彼らは真理の探究よりも、いかに相手を論破するかということに力を注いだので、詭弁に陥ることが多くありました。
このため、この時代に詭弁が飛躍的に発展し、説得や交渉、プロパガンダやマインドコントロールのテクニックとして、後の世に用いられていきます。
デマゴーグという民衆の恐れ・偏見・無知など主観的・情緒的な感情に訴えることによって権力を得、国家的危機に際し、慎重な考えや行いに反対し、代わりに至急かつ暴力的な対応を提唱し、穏健派や思慮深さを求める政敵を弱腰と非難する第二次世界対戦時のヒトラーのような人々が好戦的な主張で民衆を扇動しました。
彼らの特徴として、後世のヒトラーなどにも共通することして、グループ主義に徹して民衆の集団欲を強く刺激し、狭い角度、真実 の裏打ちの少ない主観的な考え方を巧みな弁論・詭弁を武器に浸透させ、政界に進出していくというものがあります。
実際、デマゴーグの代表的人物とされるクレオンは弁論術を武器に民衆の人気を集め、スパルタとの和平案に反対し、民会で戦争の継続を主張し、このため戦争は続行されましたがアテネは適切な指導者を欠いたため、漸次敗北し、民主主義・大衆政治のアテネが全体主義・軍事教育を中心としたエリート主義のスパルタに降伏させられて、アテネの民主主義は破壊されていきました。
また、ウルバヌス二世の名演説といわれる主観的・好戦的で外部に絶対的な敵を作り、暴力的な対応を提唱した弁論術に長けた主張は民衆の感情に火をつけ、それは人々の信仰心と集団と集団ヒステリーが結合した形で、聖戦などとは程遠い凄惨な怪物的ともいえる十字軍の残虐行為を生み出しました。
これらは、SNS上の、個人・グループ主義的攻撃による炎上現象と強く共通性を感じます。
ただ、ケネディ大統領の就任演説やキング牧師の『私には夢がある』のような社会利益、公益、人類全体に大きな+となるような想い・勇気を拡散させるという長所性も共通します。
どちらを選択し、拡散させるかは、結局は受け取る私たち自身だということかもしれません。
他決思想(詳しくはこちらをクリック)は他者に考え・判断を委ねるもので、反対に自分自身で判断していくのが自決思想です。
万人祭司の考え方からプロテスタントは自決思想と言え、教皇無謬説のカトリックなど大体の宗教は他決思想と言えます。
ケネディ大統領が就任演説で「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」と述べたましたが、この言葉はまさに自決思想を指しています。
違う表現としては、カラマ・スッタでのブッダの言葉で『人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。ただ、よく吟味・熟考した上で、理性と経験によって、承認できること・良いこと・自他共にまた世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。』というものもあります。
この自決思想は安定した民主主義を構築するためには極めて大事な鍵となる要素となっています。
こうして考察すると、バズると弁論術、両方に対して私たちはこの深い熟考の上での自決思想をもって、(決して主観的・感情的な他決思想でなく)対処すべきであることが極めて重要な課題であることが実感します。