シンガポール独立運動の担い手リー・クアンユーが率いる英語教育を受けたⒶ海峡華人グループと中国語教育を受けた華人が率いるⒷ共産系グループでした。

両者は政治的イデオロギーが全く違いますが、当初は共闘して行きます。

両者の違いは、後者Ⓑ中国からの移民集団として民族別・出身地別のコミュニティで生活していたのと異なり、前者Ⓐはシンガポール生まれ、海峡生まれとしてのアイデンティティーが強く、イギリス式の教育を受けた留学経験者達でした。

リー・クアンユー自身も少年時代は中国人の友人はほとんどなく、一緒に遊んでいたのはマレー人の子供達で、マレー語で話しており、中国語を話すようになったのも政治活動の必要性から学習し、習得した結果でありました。

リー・クアンユー客家出身ですが、この様に 客家特有の移民集団としての出身地・民族に由来する共同社会的要素の背景を背負っておらずⒶ海峡華人グループ全般にそれは言えることでもありました。

しかし、後者Ⓑのグループその要素を色濃く、持ち続けていることから、共産主義の影響を強く受けることになります。

実際的に、後者Ⓑグループの源流的組織であるマラヤ共産党が20世紀末に武闘放棄した時の兵士800人のうち500人が客家人であり、従来型の客家集団共産主義と深く相関関係はあることがわかります。

共産主義ミクロ的共同社会マクロ的に発生させたもので、強固なグループ主義、集団欲に由来するものであることからカルバン派諸国における万能資本主義的グループ主義以上に強い攻撃力があり、ロシア革命・ドイツ革命などを見ても、旧来支配層の封建的グループ主義取り払う力を持ちます。

リー・クアンユーも戦後初期においては、イギリスを追い出し、独立を達成できるのはマラヤ共産党だけであると演説しています。

しかし、旧来の支配層を追い出す能力はあっても、客観的評価システムの機能が極めて効きにくい環境のために、内部争いが頻発し、より良い社会を作り出す能力においては共産主義本的に欠如していると言えます。

カルバン派の万能資本主義を追求し過ぎて、客観的評価システムの介入をも削減してしまうと、大戦以前のフーバー大統領時代やフリードマン理論の固執によるリーマンショックの様に、世界的規模の恐慌など様々な問題点が生み出されてしまいます。

しかし、客観的評価システムがほとんど正常に機能しない共産主義が生み出すマイナス面はそれらよりも数段も巨大であることは、共産主義国家が現在まで世界に及ぼしてきた破滅的作用の蓄積の歴史を見ればわかります。

内外問わない対立・紛争・虐殺・粛清・迫害の数々に加え、環境破壊の著しさなどは他の諸国と比較しても少し次元が違うレベルのものと言えます。

共産主義国家が創立される内因的要素として、ユダヤ民族・客家などの共同体平等思想他決思想がありますが、外因的要素 としては植民地国が旧宗主国である西側諸国と対立して独立し、東側のソ連などの共産主義国の援助を得る過程としてのものがあります。

シンガポールにおいての内因的要素としての共同体に関しては、確かに華人は3/4を占め、その中の1/3は客家が含まれるために、比率的には中国本土以上の要素と言えます。

ただ客家の中にも海峡華人となり、その要素を含まないリー・クアンユーの様な存在もあり、彼ら英語派華人グループと共産系の華語派華人グループとは独立までは共闘して行きますが、その後は真っ向から対立して行きます。

次に、外因的要素にはシンガポールにはマレーシアの存在が大きく関与しています。

シンガポールは領土的・人口的にも極めて小国であり、食料や水など生存に必要なものをマレーシアに依存しており、独立もマレーシアとの合併を前提に進められました。

マレーシアは華人よりもマレー人が多く、そのため共同体要素が薄く、シンガポールにおける共産系グループの源流であり圧倒的多数が華人であるマラヤ共産党が、戦後日本軍に協力したマレー人に報復したことも相まって反共が国是となっていました。

リー・クアンユーの海峡華人グループは、マレーシアとの合併問題よって、共産系グループ追い出すことに成功します。

つまり、共産主義国家成立には内因的に負の要素と言える海峡華人外因的に負の要素と言えるマレーシアなどの存在によってシンガポールは共産主義化から免れることができました。

 

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