記事の目次

⑴人はなぜ人を非難・攻撃するのか?

それはひとえに、集団欲の作用とも考えられます。

外部の敵を非難・攻撃することによって、グループ内の結束がより強固になるからです。

肉体的に貧弱な人類が他の強靭な大型獣に打ち勝ち、生存していくにはグループの結束力しかなく、実際的に生存競争に打ち勝ってきた人間の遺伝子にはそれらの要素が強く印記されたものが選択的にピックアップされているため、グループ内の結束を強固にする行為の欲求の作用つまり、集団欲の作用にはは凄まじいものがあるという訳です。

肉体的に貧弱な人類が他の強靭な大型獣に打ち勝つまでの歴史とその後人類が増加して同類同士の争いが主となった歴史では、圧倒的に前者の方が長いと言えます。狩りの画像

人類が飽食より飢餓の状態が長かったために、生存本能的に血糖値を下げる働きよりも上げる働きの方が圧倒的に発達してしまい、現代の人類が糖尿病に苦しんでいる様に、争いにおいても同様のことが当て嵌まります。

異種生物との生存競争が果てしなく長かったために、それに打ち勝つための集団欲が発達し過ぎてしまい、現在争いにおけるメインとなっている同種同士、人間同士の争いにとっては大きくマイナスとなる集団欲を上手く制御できる機能が人類には圧倒的に追い付いていないということです。

 

⑵対立・紛争によるマイナスの影響を受けにくく、発展・繁栄しやすい社会・国家とは?

だからこそ、集団欲を上手く制御できる社会・国家は対立・紛争によるマイナスの影響を受けにくく、発展・繁栄しやすいと言えます。

その指針となるのが、少数民族やマイノリティがどれだけ活躍でき、迫害されないかというポイントです。ユダヤ人の画像

少数民族・マイノリティは集団欲による攻撃目標としては最適の的ともいえます。

逆にいえば、彼らが活躍でき、かつ迫害されないということは、社会・国家として集団欲が的確に制御され、対立・紛争が起きにくく、発展しやすい状態になっているということと同意義となります。

実際的にも歴史的に見て、マイノリティ、少数民族が活躍する国家、寛容の精神が根付いている国家は、成長し、繁栄して行く特性があります。(詳しくはマイノリティが活躍する社会とは?で)

しかし、『最強国の条件(エイミー・チュア一著)には、寛容さをもって、人種・宗教・文化を問わず、世界の優れた人材を受け入れることによって、寛容の精神が根付いている国家は、成長し、繁栄していきますが、寛容すぎたが故に不寛容が生まれた結果、ほぼ衰退していくということが書かれています。

確かに、歴史的そして現在にかけて見ていくと、その現象が濃く出ている国々も多く見受けられますが、比較的その現象が薄く発展が長く続いた、もしくは現在も継続している国々もあります。

その違いを検証していきます。

そのためには少数民族・マイノリティが活躍でき、かつ迫害されないということに関して、二つに分割して考えていきます。

つまり、①少数民族・マイノリティが活躍する ②少数民族・マイノリティが迫害されない という二つの要素を別々に考証していきます。

先ず、①少数民族・マイノリティが活躍する ですがこれには客観的評価システムの中でも条件的客観的評価システムが深く関与しています。

少数民族程、客家にせよユダヤ民族にしても教育が重視されています。

原始時代の人類が外敵に対抗するために様々な道具や知識を武器にしたように、少数民族も外部の多数民族に対するために共同体社会を構築し、その中で何よりも学問や処世術的な要素が重視され、学問・知識などを武器にしていきます。

それらの武器が有効に作用される時代、学問や知識が評価される大学制度にリンクした条件的客観的評価システムであるメリットシステムの整備された近代になって、ユダヤ人などの少数民族の顕著な活躍が始まります。

産業革命・資本主義が発展する18世紀イギリスにおいて、イギリスに居住するユダヤ人の数は激増し、19世紀にはユダヤ人の国会議員やユダヤ出身の首相も誕生し、大蔵省や外務省などの官庁にもかなりの数のユダヤ人官僚が在籍するなど、当時のヨーロッパ各国の中では、イギリスは最もユダヤ人寛容な国となりました。

ドイツにおいても、プロイセン時代の伝統である宗教的寛容によって、ユダヤ人社会が発達し、第二次世界大戦後のアメリカの様に、人口割合をはるかに超える割合で、大学教授、医師、法律家、教師などを占めて、世界的活躍貢献を国家に対して、ユダヤ人は果たしていました。

客家に関しても、教育を重視する客家では一族の中には必ず家庭教師を生業とする人間がいて、師弟の教育にあたり、人里離れた山奥の村々であるのに関わらず、科挙制度があった時代には、客家の村の合格率は他の地域の何倍も高く、中央で官僚になり、天にも昇る人物を輩出したことを記した石柱が、多くの土楼周辺で何本も聳え立っているそうです。

条件的客観的評価システム・資格制度がその客観性から少数民族の活躍と直結していることは容易に想像できます。

 

次に②少数民族・マイノリティが迫害されない ですがこれは客観的評価システムの中でも結果的客観的評価システムが深く関与しています。

条件的客観的評価システムの欠点としては結果的客観的評価システムのコントロールが働かない状態で制度が一度定着すると、それによって創られた組織が固定的に硬直化し、公益に反してグループ主義に特化してしまう性質(詳しくはこちら)があります。 

結果的客観的評価システムがない中で条件的客観的評価システムをクリアした者達によって構築されたグループ主義は極めて強固で巨大化していきます。

結果的客観的評価システムのフィードバック的改善作用が欠如しているため、様々な問題が解決されずに、山積されていきます。

その責任のはけ口とされるのが、一番集団欲の攻撃の目標になりやすい少数民族です。

結果的客観的評価システムの充実度が不十分である国家では一時期的に①が達成されても②の問題で必ず行き詰ります。

②の問題をクリアするためには結果的客観的評価システムの質・量ともに充実した整備が必要となって来ます。

②の問題で行き詰った代表的なものがワイマール共和国時代のドイツです。

②の問題に何とか対応してきたものとして、近現代のイギリス・アメリカ、現代のシンガポールなどがあります。

この違いはどこにあるのか?

それは、結果的客観的評価システムが機能しているかどうかの点に見出すことができます。

ワイマール共和国時代のドイツなどは民主制度の枠組みの導入はされましたが、民主主義から派生する結果的客観的評価システムは導入されない状態で終わりました。

近現代のイギリス・アメリカは民主主義から派生する結果的客観的評価システムが、現代のシンガポールは公務員の賞与がGDPと連動する結果的客観的評価システムなどがあります。

社会利益的にフィードバック的改善作用がある結果的客観的評価システムがあるということは、少数民族であるがゆえに国に、公に寄与しようとする努力を正当・公平に、一時の主観・感情的要素に流されることなく、評価されやすくなることを意味します。

古代ローマ帝国においても、補助兵を25年間勤めればローマ市民権が与えられた結果的客観的評価システムが機能している内は寛容の精神は揺らぐことなく、パクス・ロマーナは保たれていましたが、アントニヌス勅令によりその機能が果たさなくなってから、不寛容の精神が蔓延し、ローマ帝国は衰退していきました。

よって、この結果的客観的評価システムの質・量(種類)ともに充実した制度を整備した社会・国家程、マイノリティ・少数民族が迫害されにくく、活躍が継続する国家となり、ひいては国家全体的にも成長し、繁栄するということになります。

マイノリティ、少数民族が迫害されにくく、活躍が継続する国家となるということは、社会・国家的に見て、集団欲の作用から人が人を非難・攻撃することから生じる対立・紛争によるマイナスの影響を受けにくく、発展・繁栄しやすい環境になっていることを意味するからです。

ミクロ的(個人レベル)に見ても、人が人を非難・攻撃する集団欲の作用が発動するのは、主として不利益・不公平な処遇を受けたと感じた時です。

それは、その処遇をする方もされる方も主観的判断に大きく左右される状況の場合はやはり妥当性・正当性において意見の不一致が起きやすいと言えます。

そこに適正な客観的判断基準を設けることで、意見の相違点を小さい且つ少ないものにすることができるという訳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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