カーネギー著『人を動かす』は自己啓発本の中では七つの習慣と並び称される自己啓発本です。

この記事は各種の自己啓発本を読んで(七つの習慣)の第一の習慣における課題である②のアプローチの回答ともいえます。『人を動かす』といえば何か心理学的テクニックの様に感じてしまいますが、元々の英語の題では『How to Win Friends and Influence People』とかなりイメージが違ってきます。

内容はこの英語の題のような流れで進んでいきます。

記事の目次

1⃣『人を動かす』の要約

先ず大まかな要約からしていきます。

『人を動かす』三原則として1.相手を批判しない  2.重要感を持たせる 3.人の立場に身を置く があります。

1.相手を批判しない

批判されることは、相手にとっては最も不快なことなので、批判をすれば、相手は意見を聞いてくれなくなります。

よって、人を動かしたい場合は相手を批判してはいけないということです。

しかし、批判をせずにいるだけでは、相手が自分から動きたくなる状態にすることはできません。

ではどうすれば、相手が自分から動きたくなる状態にできるのでしょうか?

2.重要感を持たせる

その場合は、相手に重要感を持たせることが大切ということです。

重要感をもたせることが出来れば、相手は大切にされていると思い、相手も大切にしてくれるということになるからです。

では、相手に重要感を持たせるにはどうすればよいのでしょうか?

それは褒めることです。

褒めることが出来れば、常に相手に重要感を持たせることができます。

しかし、ただ表面的に褒めるのではなく、真に褒める必要があります。

そのためには次の項目が必須となってきます。

3.人の立場に身を置く 

「人を動かす」の中では「相手中心で考える」「相手を理解する」ことが必要だと言われています。

そのためには相手の関心があることを事前にリサーチしておいたり、聞き上手になることを勧めています。

聞き上手になれれば、相手が何に関心があり、何を求めているのかが分かります。

相手から多くの話を聞き出し、聞き上手になることに徹すれば、相手との信頼関係を築くことができます。

相手の心の中に行動の強い欲求を起こさせるには、相手の話を聞き、相手を理解することが大切であるということです。

 

これらは各種の自己啓発本を読んで(七つの習慣)の⑶第4~6の習慣の考証でのⒷミクロ的に、周囲の人間関係においてWin‐Win、++(プラスプラス)のシステムを構築して行く作業と多くの共通項があります。

 

2⃣自分の見解

上記内容は七つの習慣第4~6の習慣と同様自分にとって一番欠けていた部分を補足してくれる要素でありました。

ただ、これらの内容は人として、人間という生物としての主観的・感情的問題をどうクリアしていくかということに終始している様にも感じました。

また、アドラー心理学の承認欲求の否定を強く主張される方から見ると、承認欲求に振り回されている、また承認欲求を利用しすぎているようにも捉えられます。

しかし、これらの要素が各種の自己啓発本を読んで(七つの習慣)の記事での②のアプローチを考えるにおいては必須であるということは、人間という生物が感情的・本能的要素に大きく左右される存在につくられている以上否定できないことのように思われます。

アドラー心理学の他者からの承認欲求の否定も、他者からの承認欲求が集団形成・集団欲と密接に関係し、集団形成が人間を他の強靭な動物との生存競争に勝利を齎してきたことを考えると、人間という生物の性質上はなかなか無理難題のような気がします。

ただ、これらの主観的・感情的問題に囚われ過ぎるのもグループ主義を助長することに繋がるリスクを否定できません。

思うに③のアプローチを考えるにおいての一つの手段的要素と割り切って向き合って行くのも一つの方法論かもしれません。

しかし、方法論として割り切るには質的・量的ボリュームがありすぎるような気がしますが・・・・

ポイントはこの要素を自分の利益、周囲の人々を含んだグループ主義的な利益のレベルに限局することなく、社会利益・公益のレベルまで直結させることが重要となってきますが、これ程ボリュームのあることを実践する労力を考えると自分の利益、周囲の人々を含んだグループ主義的な利益のレベルに限局しないと労力に見合ったものが回収できないような気がします。

また、各種の自己啓発本を読んで(GIVE&TAKE)でも述べていますが、WinWinの関係が成立するためには、人間関係において接触・交流するもの同士でなければいけない形となります。(特別のシステムの介在が無ければですが・・・)

言い換えると個とその個との人間関係を構築できる周囲の集団内でのWinWinの関係を築き上げることができても、個とその個との接触・交流しないものがほとんどである社会全体とのWinWinの関係を築き上げることができないということになります。

個と集団、グループ主義的にWinWinの関係を築き上げることができても、個と社会全体・公益性とのWinWinの関係を築き上げることができないということはひいては必然的にグループ主義が蔓延りやすい状態になっているということになります。

接触・交流するもの同士間でのグループの結束、グループ内での幸福は実現できても、社会全体での紛争・対立を防ぐことはWinWinの関係を築き上げることができないため極めて困難といえます。

よって、この要素をWinWinの関係を築き上げた状態で、社会利益・公益のレベルまで直結させることは、実質的に不可能に近いといえます。

逆に言えば、WinWinの関係を築き上げずに、この要素を社会利益・公益のレベルまで直結させることは可能だと思います。

つまり、自己犠牲という形でです。

公益を哲学的に追及したローマ皇帝で五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが自己犠牲のギバー的方向性に進んだ(詳しくはこちら)のもある意味、必然のことかもしれません。

彼の行為は短期間的にはともかく、長期間的にはローマ社会を大きく不幸に導いてしまったことは歴史が物語っています。

では、本当にこの要素をWinWinの関係を築き上げた状態で、社会利益・公益のレベルまで直結させることは無理なんでしょうか?

但し、特別のシステムの介在があれば、状況が変わって来る可能性があります。

特別のシステムとは個と社会全体もしくは集団(グループ)と社会全体をリンクさせるようなシステムです。

例としては、

Ⓐ古代ローマ帝国時代における補助兵を25年間勤めればローマ市民権が与えられた制度(古代における公益の主たるものは防衛であるため)

Ⓑ現代のシンガポールにおける官僚などの賞与と GDP 成長率とを連動させる制度(現代において公益の主たるものは経済とされているため)

©現代のイギリスにおける公益に沿った数値指標により業績評価・報酬をするエージェンシー制度などがあります。

Ⓐは内乱の一世紀といわれるグループ主義的な混乱を収拾し、ローマに一体化した紐帯を与え、古代・中世の時代において、ローマ帝国を最大の繁栄を示す国家としました。

Ⓑは独裁国家で官僚が指導する官僚主義国家であるシンガポールを官僚の弊害、権力の集中にアジアの中で最も毒されていない国とし、腐敗認識指数や国際競争力も常に世界最良のトップクラスに位置させ、継続した発展により、小国でありながら、世界の最先進国としての地位に就かせました。

©は英国病に陥り、ヨーロッパの病人と揶揄され、先進国中一人当たり GDP が最下位であったイギリスに、過去最長期間における安定成長を続けさせます。それによって、イギリスは英国病から脱することができ、先進国中一人当たり GDPも上位に返り咲くことになります。

これらのシステムは総じて客観的評価システム(その中でも結果的客観的評価システム)に属します。

これらの客観的評価システムが質・量ともに整備された社会においては、接触・交流あるなしに関わらず、WinWinの関係を築き上げることが容易になる可能性が、その整備の充実度と比例する形で浮かび上がってきます。

しかし、そういう社会にするためには(つまり社会全体の環境を変えるには)極めて難しい②のアプローチよりもはるかに難易度が高く、不可能に近い③のアプローチの問題をクリアしなくてはならなくなります。

③のアプローチの問題についてはまた別記事(②のアプローチと③のアプローチは性質的に相反するのか?)にて考証していきます。

 

 

 

 

 

 

 

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