儒教の家族主義の教えは間違っているのでしょうか?🙄

いえ決してそうではありません。

人々が幸福になるには極めて重要な要素です。

儒教の考え方は祖先や家族愛を大切にし、礼や道徳を尊ぶ貴重な要素が多く含まれています。😀

確かに、マクロ的・公的になった環境下でそれを重要視することは極めて適さない形となります。

同じ諸子百家の一つの墨家から儒教の家族愛は特定の集団に対する愛、差別愛、偏愛と批判されています。

個々の家族内のミクロ的なレベルではともかく、国家レベルでのマクロ的にこれが実践されると閨閥主義が蔓延り、先天的な階級社会が原則となり、公平性を欠く社会になってしまう傾向になります。

また儒教の考え方である徳治主義は人治裁量主義であり、法家が社会的公正を理念とするのに対し、仁を施すと称する恣意の裁量政治が同じ閨閥や派閥の不正を裁かず、利権と最も深く結びついている官史任用に際しても、徳や才は名ばかりで人情採用が横行し、当然その結果、利権における癒着・賄賂が蔓延り、利権や特権を得るための閨閥や派閥間での争いが激化してしまいます。(詳しくはこちらをクリック

しかし、それらはミクロ的・私的な環境下では重要視すべき事柄であり、鋭い牙も爪も持たない人類が他の大型獣に打ち勝って生存できたのは、集団を形成することで初めて獰猛で強靭な獣と拮抗し、凌駕する術を得たからで、人類は肉食獣的な個々もしくは一家族を単位とするよりも、草食獣的な集団を単位として生存競争を潜り抜けて社会的動物であり、集団や群れこそ実態とも言えます。

ミクロ的・私的な環境下では重要視すべき事柄であり、マクロ的・公的になった環境下では逆に重要視することは適さない形となるのは、主観的な考え方や共同体社会の要素と共通します。

 

一つの主観的な考え方・思想にのめりこんだり、委ねてしまうことは(全てその提唱者の言葉のままに動けばいいので、その方が正直、楽であり、恍惚感・安泰化感を感じ、何より悩まなくてもいいので人々は苦境時ほどそうなりがちですが・・・)

マクロ的には健全な客観性が形成されず、主観性が幅を利かすことにつながります。

しかし、逆にミクロ的・個のレベルにおける各自めいめいの自由意志のもとでの多種多様で強力な主観の力があってこそ、形成される質の高い客観性がより充当される側面があります。

自分は大好きな言葉に、カラマ・スッタでのブッダの『人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。何事も教師や司祭権限だけの理由信じてはいけない。ただ、よく吟味・熟考した上で、理性と経験によって、承認できること・良いこと・自他共にまた世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。』という言葉があります。

一人一人の経験と理性の下に吟味・熟考した意思や考え方が交差し、修正し、補填し合うことによって、初めて適正な客観性が生まれます。

つまり、多数の人々の主観的な考え交差し、修正し、補填し合うことによって、質の高い客観性が構成されるというこです。

客観性を慮る余りに、自由意志の下での主観の力を抑圧し、思いを貫く意思力をめいめいが持たずに、自然の流れのままに社会の表面的な通説に考えを委ねてしまうことは、マクロ的には健全な客観性が形成されないことに帰結します。

 

これはまさにユダヤ人や客家などの排他的・点在的共同社会を形成する民族にそのまま当て嵌まります

ディアスポラ的状態であれば、共同体が育む優れた教育水準によって供給される優れた人材などによって社会に多大な利益がもたらされるのに対して、集団化してミクロ的共同社会をマクロ的なものに延長させようとしたり、ディアスポラ的なものを繋げて強固な閥を形成した時、つまり共産主義国家のような状態がもたらされた時、社会は大きなマイナスを被る可能性があります。

ドイツで最もユダヤ人が多いプロイセン王国がドイツ統一の中心になったのも、第二次世界大戦後アメリカの超大国としての地位を不動にしたのも、そして遡って中世においてポーランドをヨーロッパ最大領土国家になるまでに繁栄させたのもユダヤ共同体の教育が生み出す優れた人材が大きく寄与しています。

共産主義国家においては腐敗・内紛代名詞とも言え、社会は大きなマイナスを被っている場合がほとんどです。

しかし、その規模をマクロ的にした様な存在であるイスラエル国家の中でキブツという数百人から千人程の小規模の共有財産を主とした共同社会が数百程、ディアスポラ的に点在していますが、その中では比較的問題が少なく、人材面でも生産面でも人口比率以上の多大の貢献を果たしています。

同様に、儒教の考え方の祖先や家族愛を大切にし、礼や道徳を尊ぶ貴重な要素ミクロ的・私的な環境下マクロ的・公的になった環境では重要性が全く変わってきます。

ミクロ的・私的な環境下では人々が幸福になるには極めて重要な要素で、このブログで最も焦点を当てている客観的評価システムと同等もしくはそれ以上にです。

科学技術が発展した現在の状況に対処するための客観的評価システム(詳しくはこちらをクリックの整備が不十分すぎるので限定必須アミノ酸の様な重要性を持っているだけです。

家族主義にしても、主観的な考え方にしても、共同体社会の要素にしても、客観的システムにしても公的社会の利益、公益において必要不可欠なもので、お互い決して、対立するものではありません

例えて言うと、必須アミノ酸におけるアミノ酸の桶の理論に近いものがあります。

九種類のうち、一番含有量の少ないアミノ酸を一番背の低い桶板に例えると、いくら満杯にしようとしても、そこから水が流れてしまう

つまり、吸収されずに排出するために、エネルギーや栄養素を無駄に浪費し、逆効果になるというものです。

必要量に対して充足率の最も低いアミノ酸を制限アミノ酸と言います。

現在においては公的社会の利益、公益において最も制限アミノ酸になりやすいのが、客観的評価システムと言えます。

 

 

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