(人を幸福にする客観的評価システムの役割)
どの分野・職業においても社会の利益主義者そしてそれと対極にいる詐欺的利益主義者がいます。
保険分野であれば顧客のためにできるだけ、ためになる(手数料やマージンが少なくとも)保険商品を時間をかけて顧客のニーズに適確にマッチングコンサルティングしていく方が前者で、ひたすら手数料やマージンの高さを追及し、詐欺的トークを武器に(顧客のニーズ・利益をそっちのけで)すばやい顧客対応回転率で営業成績を上げて行く方が後者です。
建設・建築分野であれば手抜きをせず、安全な顧客のニーズ・ライフプラン・収入にあった物件を紹介・建築していく方が前者で、顧客のニーズ・ライフプラン・収入などそっちのけでひたすら利益・マージンを追及し、手抜き的要素も多発的に含有させ、顧客の一生の買い物・夢を台無しにするどころか、将来的経済破綻のリスクが極めて高いものも平気で商談・成立させて行く方が後者です。
教育分野であれば生徒の為に身を粉にし、いじめ問題などの難しい問題にも事なかれ主義
を採らずに、真摯に解決に努め、真正面から向き合う方が前者で、逆にいじめ問題などの難しい問題においては事なかれ主義に終始し、生徒の為にというよりも自らの身の保身を第一に行動する方が後者です。
政治・行政分野であれば国家・国民・公益を第一に行動し、常に政治・行政を学び、癒着やしがらみとは無縁でいる方が前者で、表面的には国家・国民・公益を第一を標榜しながら実際的には癒着・利権の構築に邁進し、公益そっちのけどころか反社的な方向性に突き進んでいる方が後者です。
医科分野であれば利益よりも患者さんのために親身に優しく、時間をかけて真剣に対応し、より良い治療を相互に相談しながらセレクトして行く方が前者で、利益中心でほとんど効果がないと思われるような自費治療を口先三寸で一方的にセレクトさせ、経済的にも身体・健康的にも患者さんを窮地に追い込んでしまう方が後者です。
前者タイプの、社会の利益・改善を志す者は、自分達の時間・努力、場合によっては財力やリスクを掛けて、それを成さしめようとします。
それに対して、後者タイプを指向する人々は、自分達の利益と直結しやすい癒着・利権の構築に同じ様に、時間・労力等を費やします。
個と公(おおやけ)をリンクさせるシステムが特別なければ、自然の流れで前者は後者に駆逐されます。
前者の行動は後者に比べて、自分達の利益に直結していないからです。
特に、公共善のために既得権益を相手に改革を志す者は、更にその度合が激しくなります。
彼らはかなり高い可能性で、既得権益のグループ主義との圧倒的不利な状態での対立を背負うことになるからです。
集団欲というのは、外部の敵に対しては凄まじい結束力を持って攻撃性を放つからです。😨
公共善のために尽くす社会利益主義者や改革者は、個と公(おおやけ)を直結するリンクによって優遇・保護するシステムがないと自然の流れで迫害され、除外される傾向が極めて高くなります。
且つ、それに加えて公益を生み出す為の努力に費やす労力・時間・財は利権的グループ主義に費やされる場合と比べると圧倒的に回収率が低く、利権的グループ主義的に生きることが+200%位の回収率になったとしても、公益主義に生きることは-200%位の迫害的回収率になってしまう傾向にあります。
この集団欲が引き起こす習慣的惰性の流れを変えるシステムがなければ、グループ主義が座標上における傾きを-(マイナス)に変えてしまい、いくら社会の利益主義者が大きな+(プラス)を生み出しても、少しずつその効果を減衰させてしまいます。
歴史はその繰り返しともいえます。
その悪循環を止めなければ、歴史が進行すればする程、科学力は当然に大きくなって、社会の歪みなどが改善されない状態では、そこから生み出される被害から文明が破綻してしまうリスクは時代が経るにつれて当然に高くなってしまいます。
通常の平均的人物の公益に対する寄与度の平均値を1と仮定すると、社会の利益主義者の寄与度を100とします。
しかし、莫大な+(プラス)を生み出す為の反対勢力を貶めたことの-(マイナス)が10あるとします。
+(プラス)部分は公益に関して公と個をリンクさせる客観的評価システム(詳しくはこちらをクリック)がなければ、先ず評価・報酬を受けることはありません。
つまり、百の評価が0、あったとしても自らが属しているグループ内における評価がある位で、1か2程度といえます。(直接グループにに寄与しているわけでもないので、その評価・報酬は極めて低くならざる得ないといえるからです)
ただ、-(マイナス)の部分は集団欲の過剰になる傾向にある防御機能としての攻撃反応によって、-10が-20や-30になって帰ってきます。
本来ながら+90の評価・報酬を受けるべき社会の利益主義者が、実質的には-20や-30の評価・報酬とまさに迫害的リターンを受けることが典型的・原則的なパターンとなってしまいます。
その様な悪条件の中、社会の利益主義的に生きることは、精神的にも身体的にも社会的にも厳しい環境に置かれます。
皆が幸せになるには前者タイプの方をできるだけ増やし、後者タイプの方をできるだけ減らすことにあるのは誰もが納得する事柄だと思いますが、上記の理由でそのままの自然の流れでは、その事柄が極めて困難であることがわかります。
これを是正する役割が公益に関して公と個をリンクさせる客観的評価システムですが、客観的評価システムには二つの要素(詳しくはこちらをクリック)があります。
お金は単なる媒介です。
人々が創造するもの、サービスの質を高めるものは、客観的評価システムのこの二つの要素です。
この二つの要素が十二分に整備されることによって、初めて前者タイプの方が後者タイプの方より優遇され、幸せになれる手段が、お金を媒介とした報酬が与えられることによって成立するのです。
giveの要素だけが成立しても、useの要素が成立してなければ人を幸せにはできません。
いくら莫大な報酬を与えられていても、それを使って得れるものやサービスの質が低く、詐欺的なものであれば全く意味がないからです。
人が幸せになることは、客観的評価システムの、この二つの要素をできるだけ整備させるかに懸っています。
つまり、決して受け身的なものではなく、一人一人が能動的に働きかける必要性があるのです。
どうやったら、前者タイプの方が増え、後者タイプの方が減るのか、自分自身が幸せになる為にも客観的評価システムの整備を一人一人が認識し、努力していく必要性があるのです。
実際的にこのシステムが整備されている国・社会程、幸福度が高いものとなっています。(詳しくはこちらをクリック)
皆が協力して、前者タイプの方が後者タイプの方よりもどの点、角度からみても明らかに圧倒的に幸せになれる社会がつくりあげれたら最高ですね!