皆が幸せになる制度の追求は基本、民主主義制度の追求にあるのでしょうか?

しかし、古代においては直接民主制など民主主義志向の強い民主国家を築き上げたアテナイは民主主義の欠点である衆愚政治やポピュリズムなどにより国力を低下させ、対極のシステム下にあるスパルタの軍門に下り、衰退しています。

中世においてはイギリスやアメリカより数百年先駆けて民主制連邦制を築いた黄金の自由期のポーランドは内外における多発する対立、紛争などによって専制国家時代より国力を低下させ、大洪水時代にそれぞれ専制国家であったプロイセン、ロシア、オーストリアによるポーランド分割などから一時期、存亡の憂き目に遭っています。

また近現代においてもゴルバチョフのペレストロイカさらに急進化したエリチィンにより民主化したロシアは共産独裁国家のソ連時代よりも急激に国力を低下させて再びプーチン政権の独裁指向の体制に回帰してしまっています。

では一人の指導者や君主による独裁形態が望ましいのでしょうか?

しかし優れた指導者や名君に恵まれることはまさに博打のようなもので、しかも代を重ねて名君は続くことは皆無であることは残念ながら歴史が証明してしまっています。

では対立するような格差をなくす平等性を追求すべきでしょうか?

しかしその要素を追加した狭義の社会主義、純粋的共産主義は中国の毛沢東時代やソ連や北朝鮮国家を見ても、対立・内紛が極めて多発しやすい制度であることはこれもまた残念ながら歴史が証明してしまっています。

ではどのような制度を追求すべきなのでしょうか?

果たしてそのような追及すべき制度はあるのでしょうか?

その答えとなるキーワードと言えるものは、古代中世においては中国に長期間にわたり必然的に通じていた百年単位における戦乱・内乱の消失から、近現代においては明るい北朝鮮と言われるシンガポールが独裁国家で小国でありながら、腐敗指数がアジア最良で国際競争力が世界最上位レベルに位置することの事由等から浮かび上がってきます 。 シンガポールの画像

そのキーワードは客観的評価システムです。

客観的評価システムは大きく分けて二種類あります。

一つは条件的客観的評価システムともう一つは結果的客観的評価システムです。

条件的客観的評価システムとは、社会の利益を生み出すであろう知識経験などを評価するもので、選抜試験、資格試験などがこれにあたりごく普及されている一般的なものではありますが、あくまで社会の利益を生み出すであろうという予測でしかありません。

結果的客観的評価システムにおいては、失業率 、GNP など経済成長率、福祉充実度などがありますがこれらは直接社会の利益とリンクしていますが条件的評価システムと違い、あまりダイレクトに使われにくいものです。代表的なもので選挙における政権党の評価で、総括的に使われています 。

条件的客観的評価システムだけであると所詮社会の利益における予測評価であり、ほぼ一回しか行われないものでありますから一回クリアしたものの中でグループ主義的腐敗が進行してしまいます 。

これは条件的評価システムの代表的欠点としてあげられ、条件的評価システムの初歩的な科挙制度においては、一度その制度が確立てしまうとそれをクリアした者たちによる特権階級によってグループ主義が形成され社会の利益とかけ離れて制度が硬直化してしまい進歩しなくなってしまいました。

諸外国に大学制度に裏打ちされたメリットシステム(公務員選抜試験)など他の優れた制度が出てきてもなかなか質の低い科挙制度からの脱却は中国で起こらなかったのもそのためです。

大学制度に裏打ちされたメリットシステムにしても英国社数理などの科目によって学歴という特権階級を形成されてしまうともっと社会の利益と直結した分野での評価システムが 改善・構築されにくくなってしまいます。硬直化、クリアした人々によるグループ主義による癒着化、腐敗が大きな欠点になってしまいます。

結果的客観的評価システムの方の欠点は簡単に言うとダイレクトには使いにくいものということです。一部の分野は除いてはですが・・・

例えばプロ野球選手なんかでは、打者は打率、投手であれば防御率などはまさに結果の客観的評価でそれに合わせて報酬・評価が行われます。

しかし、社会の利益に直結している分野においてあまり使われにくいものとなっています。失業率、経済成長率、寝たきり率、平均寿命、健康寿命、福祉充実度、生活幸福度などの総合的指数などが官僚・政治家などの評価・報酬に使われてるなどというのはあまり聞いたことがありませんよね!

 その中でGNP 経済成長率が官僚などの賞与と連動しているシンガポールはまさに例外的存在といえます。

 

国・社会の幸福度や国力の増加と客観的評価システムの相関関係を見て行くためには、先ずは集団欲とそれを制御する客観的評価システムというものが人類社会にどう深く影響を与えていくかを、人類の成り立ちから考察していく必要があります。

鋭い牙も爪も持たない人類が他の大型獣に打ち勝って生存できたのは、集団を形成することで初めて獰猛で強靭な獣と拮抗し、凌駕する術を得たからで、その本能として集団欲が深く根付きました。狩りの画像

人類は肉食獣的な個々もしくは一家族を単位とするよりも、草食獣的な集団を単位として生存競争を潜り抜けて社会的動物であり、集団や群れこそ実態とも言えます。

外部に攻撃対象を置くことによって、集団は内部の結束を強めます。内部の結束を強めることでさらに外部への攻撃は強くなります。この循環を繰り返し、集団はより強固なものとなっていきます。

しかし、これらが原始時代の肉食獣など他の動物に対して発動するのならともかく、人類が長い期間をかけてこれらの敵に対してほぼ克服し、もしくは生存において優位な立場になった時、つまり人類の人口が大幅に増え、他の多数の動物の中の孤立した集団ではなく、人間同士の集団が接し合うようになると、人類の集団の攻撃対象は人類の集団同士になってしまいます。

人類の集団同士の争いの中、集団は村を、村は小国をそして公(おおやけ)としての国を形成していきます。

国を支配する一族やグループは当然、特権や利益を得又差配する権限を所有することになります。これらは主に武力によって獲得されたもので当然に他の別グループによって同様に武力によって覆すことも可能となります。

実際にそうやって長い間中国は王朝と王朝の間に何百年という内乱の時代を必然のように含有し、王朝時代期間内にも常に政権内の武力的な紛争を抱え込んで行きます。

グループ同士、集団同士の争いは当然に公(おおやけ)としての国の力を落とし、属する個の人々の不幸に直結します。

内乱の時代は人口が激減します。生存するのが極めて困難な悲惨な社会となります。

つまり、原始時代のように人口が少数でそれぞれ孤立した集団しかない時ならともかく、人口が増加して多数の集団が融合した公(おおやけ)が構築されると公(おおやけ)内の 利権を巡って、しかも公(おおやけ)全体の公益を蔑ろにしながら、集団同士が争う傾向が非常に強くなります。

これをを避けるためには、公益と個また公益と集団を直接リンクさせる特別な仕組みが必然となります。

その仕組みがないと 、人類の歴史上、極めて長期間生存本能として強く機能し、実際他の肉食獣に対して有効に役目を果たしてきた集団欲が、原始時代を脱した時代においては、個と集団を密接にリンクさせ、公と個、公と集団のリンクを蔑ろにしてしまう結果となってしまいます。

その仕組みが客観的評価システムというものになります 。客観的評価システムというものには、公と個・集団それぞれと直接リンクさせていく働きがあるからです。

逆に言えば、客観的評価システムをしていくことが、グループ同士、集団同士の争いを制御し、国力を増加させることになります。

古代中世において東洋一の大国として巨大な統一国家を形成・維持した中国は科挙制度(詳しくはこちらをクリック

古代中世の西欧において最大の繁栄を誇ったローマ帝国では補助兵を25年間勤めればローマ市民権が与えられた制度(詳しくはこちらをクリック

近代世界の覇権国となったイギリスは民主主義から派生する政権党の政治に対して多数の国民による選挙における支持率という評価と政権を任せるという報酬制度(詳しくはこちらをクリック

小国ながら世界最先進国となっている現代のシンガポールにおける官僚などの賞与と GDP 成長率とを連動させる制度(詳しくはこちらをクリック

ドイツをヨーロッパ最強の近代国家の一つに躍進させ、日本をアジア最強の近代国家とさせたメリットシステム(詳しくはこちらをクリック

英国病から脱出させた現代のイギリスにおける数値指標により業績評価・報酬をするエージェンシー制度(詳しくはこちらをクリックなどです。

また、世界的にも客観的評価システムの充実度という点では最上位に位置する環境を北欧諸国は作り上げ、国民の幸福度・国際競争力がともに世界的に同様に最上位に位置するという他国と比較すると理想的ともいえる国家群となっています。(詳しくはこちらをクリック

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