アメリカは世界中から優秀な人材を引き寄せる競争では他国に対して長期間にわたって勝利を収め続けて来ました。
その優秀な人材を取り込む仕組みの中心には、大学がありました。
アメリカ最古の大学はどれもカルヴァン派のピューリタンが創設しましたが、カルヴァンの教えにある職業的成功が救済の証拠になるという予定説の解釈とカルヴァン自身が教育に力を入れていたことから、職業に則した教育に熱心なピューリタンが、アメリカの大学の実学重視などの基礎的方向性を形成していきました。
また、寛容の精神からオランダの大学が17世紀最も国際色が豊かで 特にイギリス人やスコットランド人などの多くの外国人が集まったように、アメリカの大学にも性別・国籍・年齢を問わず、多くの留学生や学者が世界各地から集まり、ハーバード大学など名門校の教授の多くは移民などの外国人が占めるようになりました。
カルヴァンのお膝元であったスイスの大学では、教育の質を評価し、向上させるために、360度評価である講師及び事業内容を学生に評価させ、さらに2年ごとに卒業生に大学の勉強が現在の仕事に実際役立っているかなどの質問における結果が公表されるなどの客観的なフィードバックシステムがあり、スイスの国際競争力が世界最上位クラスであることの大きな要因の一つになっています。
アメリカの大学においても同様に、学生が担当教授の評価をすることが義務付けられ、また大学の教授は実学重視の観点から、実際にスペシャリストとして企業や政府機関で勤務した経験を持つものが多く、学生に実践的な知識や技術を与えていきます。
アメリカンドリームの典型的な例に、アンドリュー・グローブがいます。
ハンガリー生まれの彼は、ハンガリー動乱の際に、祖国を離れ、アメリカに移り、ウェイターをして学費を稼ぎながら、大学で博士号を取り、インテル社発展の最大の貢献者となりました。
アメリカはやる気と能力のある移民が出世し、一生懸命頑張れば豊かになる可能性が一番高い国だと見られ、グローブのような多くの優秀な移民が優れたシステム下にある大学を媒介に集まり、移民の数え切れないほどの成功と貢献が生まれて行きました。
優れたシステムと世界中から集まる優秀な人々によって、アメリカの大学は長期間にわたって、世界大学ランキングのトップ10のほとんどを占め、ノーベル賞受賞も大半はアメリカの大学の研究者が獲得していました。
大学は、官僚などの公務員をはじめとする様々な職業の公益に対する条件的評価システム(詳しくはこちらをクリック)の基礎となるものです。
それが客観的なフィードバック機能持つことによって、結果的客観的評価システム的要素もを帯びる形となります。
対照的なのが日本の大学です。
補助金・助成金の獲得のために、多くの天下りを受け入れ、癒着の温床となっており、教育の質を高めることに対する方向性が必然的に薄くなっています。
条件的客観的評価システムの歴史的に見た質の進歩度合いとしては、先ず初歩的な第1段階ものとしては、科挙(詳しくはこちらをクリック)があり、次に 第2段階として、学歴に基づいたメリットシステム(詳しくはこちらをクリック)があります。
そして、第3段階としては学歴以上に社会の利益に則したものとして、ほぼ全職業に網羅された職業資格認定・技能鑑定制度(詳しくはこちらをクリック)があります。
スイス・デンマーク・ドイツなど国際競争力の強い国々の多くは、この第3段階の度合いにあるシステムを導入しています。
大学での専攻内容が、卒業後の職業に直接結びつくことが基本形で、日本のように学歴を基準に企業に就職するのではなく、実学重視のカリキュラムの中での成績評価GPA などを基準に特定の分野の特定の職種というようなスペシャリストとして就職していくアメリカのシステムは第3段階の度合いに準ずるシステムと言えます。
対して日本においては、スイスやアメリカのような結果的・客観的フィードバック機能がなく、教育の質を高めることより、天下り先を増やすことに方向性が向いている官僚の主観的なグループ主義的干渉が強く働いています。
そのため、日本の条件的客観的評価システムの進歩度合いは、第2段階目の学歴に基づいた段階で、長く停滞しています。
スイスやアメリカの大学生はよく勉強し、日本の大学生の勉強時間は国際平均に比べて圧倒的に低いと言われています。
アメリカやスイスでは様々な試験による評価が課せられ、それを通過しないと卒業できないため落第率が高く、卒業率が低くなっています。
また、アメリカの GPA などの評価は企業に就職する際に、大きく考慮されます。
大きく将来に関わってくる評価システムがあるため、皆が必死で学んでいきます。
また、教授サイドも、その勤勉な学生からのフィードバックによる評価に曝され、質の高さを求められるため、優秀な人材が国内外問わず集められることから、アメリカもスイスも半数以上の教授は外国人が占めています。
それに対して、日本の大学生のほとんどは卒業し、その成績も就職にほとんど関与しないため、つまり評価に曝されないことから、皆が余り学ばなくなります。
日本の就職において、評価の対象になるのは主に学歴です。
しかし、学歴は大学入学試験における国語・英語・数学・理科・社会などの教養科目に対する評価になります。
教養科目は、実際的に、社会の利益を直接的に生み出す実学とは距離があります。
主にその実学を学ぶ場が大学であるのに、それに対する評価はほぼ存在しないため、皆が教養科目を対象とした大学入試では必死に努力しても、大学に入ってからは余り学ばなくなるのです 。
詩文や儒教の経書などを主科目とし、教育機関の裏打ちが極めて乏しかった第一段階の科挙に比べると、遥かにマシではありましたが、教養五科目という、一つのしかも実学から距離のある基準だけの観点で評価をすることは、公益とのリンクが薄くなるとともに、人々の能力・努力の多様性を無視し、適材適所という観点でも隠れた才能を極めて埋もれやすくなります。
アメリカと日本で対照的なものが、IQが高い人が多いギフテッドと言われる人々に対する取り組みの違いです。
キフテッドと言われる人々は、一般的に注意力散漫であったり、共同作業がうまくできないと言う発達障害 ADHD も併せ持つとされています。
長所と短所が合わせ鏡のようになる状態で、実際にギフテッドの人々の高校中退率はかなり高いと言われています。
日本では、高校中退者は学歴という基準だけの評価では低能とされ、就職もままならず、社会の落ちこぼれとされる場合がほとんどです。
しかし、ギフテッドと言われる人々の中には、アインシュタインやビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、ビル・クリントンなど多くの著名人が含まれます。
失読症であるディスレクシアである者も多く、アインシュタインもその中の一人で、第一志望の大学に落ち、滑り止めの大学でも教授とコミュニケーションが取れずに苦労したと言われています。
一つの基準だけでの評価だけでなく、第三段階の条件的客観的評価システムのように、あらゆる職業に資格や技能鑑定を付与した評価基準が多くある方が、当然受け皿が大きくなります。
アメリカのように、大学に入ってから自由に好きな専攻を選択し、その実業に沿った専攻科目の成績評価 GPA が、その後の就職などの将来に大きく関与していくシステムも第3段階のシステムに準じたものと思われます。
アメリカでは、そのシステム以外に、直接ギフテッドの兆候が見られる子供達に早期に介入していくプログラムもあります。
できない所でなく、長けている所を探し、伸ばしていく教育がされています。
長所と短所は合わせ鏡であり、そういう意味で言えば、全ての人々がギフテッドで ADHD とも言えます。
その長所と短所の度合いが大きく、表面上に出ている存在が定義上のギフテッドと言うこともできます。
能力や才能のある優秀な人々というのは、ある意味その能力がたまたま適応する環境にフリーライドしている側面があります。
優秀な人材を発掘、掘り起こすにはそれを評価するできるだけ多くの基準とそれを伸ばす教育の場が必要不可欠です。
ギフテッドでディスレクシアなどの大きなハンデがありながら、アメリカでは努力で克服し、活躍している人々が多くいます。
好きこそものの上手なれとは言いますが、自分の興味がある選択肢が用意されれば、人は努力で乗り越えていく傾向があります。
大事なことは、限定した環境下でのたまたま適合した極めて一部分・一分野の能力主義ではなく、様々な可能性・方向性が提示された中で、自分に適合するものを選択し、思う存分に努力し、追求できる場を用意する実践的な教育システムとその努力を評価する客観的評価システムによって創設されて、保証される努力主義であるということです。
限局した範囲での能力主義に弾かれた者は、当然のことながら 努力する場も、評価もないことから努力をしなくなる傾向にあります。
様々な努力する場とそれを評価する第3段階のシステムある国の代表国であるデンマークやスイスでは、自分の能力を向上させる生涯学習などで費やす時間はそれぞれ世界で1位、2位で国際競争力もそれぞれ最上位レベルの順位に位置しています。
条件的客観的評価システムを裏打ちする教育機関である大学の望ましい有様は、機会の平等そして優秀な人材を幅広く収集するためにも、教育費は無料、奨学金を多額に給付し、民族的・人種的公平の下、国際色豊かな環境の中で、カリキュラムは実学を重視し、クリアして進級するのがハードであることです。
そして、卒業後もデンマークの様に資格化していくか、アメリカの GPAの様に、 大学の成績が就職の際に考慮されるなど、大学での習得内容が評価され、十分に生かされるようにすることです。
また、大学を離れても、働きながら学んでいく生涯教育も大学教育同様に、マイスター制度のような資格や段階的技量評価で裏打ちされる、つまり第3段階目の条件的客観的評価システムの裏打ちを受けることにより、習得内容が評価・生かされる環境であることが望ましいと言えます。
実際に、生涯教育の充実度が1位、2位であるデンマーク、スイスにおいては資格化やマイスター制度によって裏打ちされており、これらの国の国際競争力は常に世界最上位グループに位置しています。
そして、これらの条件的客観的評価システムをフィードバックする結果的客観的評価システムには、間接的に機能するものとして、特に北欧諸国において発達したの民主主義から派生したものやシンガポールで独自で発達した GDP と相関させるものがあり、直接的に機能するものとしては、大学教育においてスイス・アメリカなどに見られる教授や講義内容を学生・卒業生に評価させるものなどが、現在においては存在しています。
所得補償をする学校というものが日本でもネット上一時期紹介されたことがあります。
今の日本の実情を考えると実施し、根付かせるのは非常に困難であると思われます。
これを実質的に実施しているのが北欧諸国のデンマークです。
デンマークではあらゆる職業でライセンス(資格)を持っていることが義務付けられていて、ライセンス所有者は職種による最低賃金が保証されています。
職業教育を終え、専門職のライセンスを得、実務経験を得た後でさらに同種のグレードアップした職業資格を取得することも可能です。
例でいうと、産業挙育コースの課程を修了して卒業資格を得て庭師になると40万程の月給が、さらに農業学校を卒業して農業技師の資格をとると50万、大学を卒業して造園設計技師の資格をとれば60万程の月給が保証されます。
これらは第三段階目の条件的客観的評価システムに相当します。(詳しくはこちら)
ただ、条件的客観的評価システムである以上【条件的客観的評価システム←結果的客観的評価システム】の補完性がないと高度な第三段階目であってもマイスター制度の手工業マイスター(工業マイスターではなく)のように硬直化してしまう可能性があります。(詳しくはこちら)
デンマークでもドイツでも民主主義から派生した結果的客観的評価システムが整備・機能していますが、それだけではなく、直接的に強く作用する結果的客観的評価システムのプラスαがある方が硬直化のリスクをより回避することができます。
直接的に強く作用する新しい結果的客観的評価システムの具体化を考証していきます。
条件的客観的評価システムの教育や試験などを統括する機関が、卒業生の国への納税額などを基準とした結果的客観的評価システムのコントロールを受けるというものも一つの方法です。
つまり、卒業生の納税額の総計が大きければ、機関や大学は国などから補助金などを報酬として、総計に見合って受け取り、小さければ減額されてしまいます。
納税額や収入などの金銭的な基準は、それだけでは資本主義万能主義的(詳しくはこちら)なものになりがちですが、複合的に重ねて客観的評価システムを関連させることによって、社会利益主義的な指標に転化することができます。
社会に質・量共に整備された客観的評価システムが機能することによって、納税額や収入なども社会利益主義的寄与度を表すものになって行きます。
一例としては、金銭的利益に直結していかない社会利益主義的な研究やプロジェクトに関しても、客観的評価システム 下で評価され、国から莫大の報酬金が付与されるなどによって、金銭的指標である納税額なども社会利益主義的色合いを帯びてくることになります。
それらを同時・並行に実施することによって条件的客観的評価システムの欠点を補い、全体的な客観的評価システムの整備を充実化することができます。