近代になって戦争が国全体の総力戦となってから、対外戦争の勝ち負けは国力の度合によって決まるようになりました。

それは、外見上の表面的な国力ではなく、全体的な国民の同意など人的要素が中核となった実質的な国力であり、それは客観的評価システムの機能や整備度合と直結していることが歴史的に見て分かります。

外見上の表面的な国力では、絶対勝てないとされた日清・日露戦争も人的資源によって日本は勝利しました。

それは、明治維新となり身分制度が撤廃され、条件的客観的評価システムであるメリットシステムが導入且つ十分に機能したのに対し、清やロシア帝国では身分制度改革が進まず(もしくは不十分)、条件的客観的評価システムの機能度合では明らかに日本が優位の状態でした。(結果的客観的評価システムについては三国とも整備されていない状態でした)

ナポレオンが他の国においては全て勝利をおさめてもイギリスにだけはどうしても勝てなかったのは、イギリスには民主主義から派生した結果的客観的評価システムが整備されていたからです。

ビスマルクのプロイセンが普墺戦争・普仏戦争に勝利したのも世界に先駆けてメリットシステムを導入したからです。

日本が太平洋戦争でアメリカに敗戦したのも、アメリカには民主主義から派生した結果的客観的評価システムが機能されていたのに対し、日本には西園寺ルールの様に民主主義から派生した結果的客観的評価システムが機能していない状態であったからです。(詳しくはこちら

またアメリカがベトナムに唯一勝てなかったのは当時のアメリカは軍産複合体の影響下が極めて強く(当時のアイゼンハワー大統領が離任演説で警告した程)、民主主義から派生した結果的客観的評価システムが機能不全に陥っていたからです。

現在においては、直接的な戦争というより(今の科学レベルではそれをしてしまうと、間違いなく世界滅亡に直結してしまうため)その代理戦争的な大国間の経済戦争が主となって来ています。

それに勝ち抜き、多くの他国に影響を及ぼす大国にはやはり、客観的評価システムの整備・機能度合が総合的に優れている国家がなると思われます。

望むらくは、その国家に人権を弾圧し、軍事的威圧などをもって他国に強圧的な行為を選択する大国がならないことです。

そうなってしまうと、残念ながら歴史的に見て、大体の国々は国力が増大した国を右倣え右的に模倣する傾向にあります(その際に重要となってくる課題についての詳しい考証はこちらで)。

戦争は絶対に避けなければならないことです。

しかし、歴史的に国力から派生する軍事力を背景に世界のイニシアチブ・主導権が握られてきた現実があります。

その現実から逃避し、精神的理想主義に走ってしまうことは全ての人を幸せにするというこのブログの意図とは場合によっては真逆の方向性に進んでしまうことになりかねません。

理想主義的精神世界ならともかく現実は全ての人々がそれそれ肉体を持った生物体です。

生存のための本能・欲というものと切り離せない構造となっています。

それを無視して夢想することはこのブログのdreamingの方向性とは180°違う形となります。

客観的評価システムにもいろいろな種類があります。

中でも条件的客観的評価システムは短期的に効果があっても長期的には逆に大きく負の作用を放つことがあります。

条件的客観的評価システムの短期的な作用効果によって、国力を増大させ、世界のイニシアチブ・主導権を握った後で長期的な負の作用によって世界を奈落に誘導してしまう(まさに戦前のドイツがその例だったかもしれません→詳しくはこちら)ことも十分可能性としてあります。

そうならない様に、現実を見据えて、そういうリスクのある国々に主導権を握られない様に、日本においても条件的客観的評価システムとそれをフィードバックする結果的客観的評価システム両方の整備と相互補完性を確立させて行かなくてはなりません。

 

 

 

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