新古典派経済学は現在経済学の主流派で、古典派のアダム・スミスの「見えざる手」をベースに自由放任主義、極力政府の不介入、小さい政府の方向性を目指す考え方です。
それに対し、ケインズ経済学は積極的な財政出動・政府の介入を行う大きな政府を基本とする考え方です。
近代から現在に至るまで主として、この二択を中心に議論・論争が繰り広げられてきました。
直近におけるアベノミクスの金融政策は新古典派の流れにあるマネタリズム的な考え方から派生しています。
また、最近話題のMMT理論(現代貨幣理論)はケインズ経済学の流れに属するといえます。
しかし、どちらを追及しても長所・短所があり、短期的にはともかく、長期的にみると残念ながら行き詰まりに見舞われています。
だからこそ、百年近くに渡って、永遠ともいえる議論・論争が繰り広げられているともいえますが・・・
ここでは、アメリカの歴史を中心に見て、少し違う観点からこの二択の選択肢を考証し、新しい選択肢はないのか?を考察していきます。
アメリカは合衆国史の初期段階から、政府が経済に介入するのを避け、自由放任主義を原理としてきましたが、19世紀後半における金ぴか時代を経て、大企業の影響力が増大し、地方自治体の政府が腐敗した政治家に支配される例が多く見られるようになると、進歩主義という改革運動が発生します。
当時、腐敗した大企業と結託し、泥棒男爵と呼ばれた政界のボスによる不正行為などの行き過ぎた資本主義と政治腐敗に対して、世界の独禁法の起源となるシャーマン法やクレイトン法などが制定され、その他事業規制や乱開発などの環境破壊に対する自然保護政策などが採られるようになります。
1890年から1920年にかけてのこれらの時代は進歩主義の時代と言われています。
しかし、進歩主義の時代から狂騒の20年代と呼ばれる時代に入ると、保守的な共和党政権が3期続き、3期ともに自由放任経済政策を実施し、政府は大企業との密接な関係を固めて行きます。
企業統合が相次ぎ、巨大企業が続々と誕生し、大量生産が供給されますが、グループ主義形成による富の偏在により、一方で過剰ストックによる過剰投資、もう一方で富が行き渡らない層における過少消費もしくは債務や極端に上昇した株価など投機に裏打ちされた消費とのギャップにより、必然的にある一定の閾値を超えた時点で株価が暴落し、それに合わせて債務上昇、消費・需要が急激に加速度的に減少する恐慌が勃発します。
この恐慌は20世紀最大の世界大恐慌に発展し、第二次世界対戦の大きな要因にもなります。
第二次世界対戦後、1950年代までは世界経済の中でアメリカ一人勝ちな状況でした。
しかし、徐々にアメリカ製品が他の国々の製品との競争に押され始めます 。
1970年代にはアメリカ製品の輸出が頭打ちになり、逆に他国からの輸入が増加したため、南北戦争を克服して工業化に成功し、黒字に転じてから100年ぶりに貿易収支が赤字に転じます。
1980年代からは莫大な財政赤字と貿易赤字が併存した双子の赤字の状態に陥ります。
アメリカ製品が押され始めた理由、つまり貿易収支が100年ぶりに赤字に転じてしまった原因は、カルヴァン派のマイナスの要素、資本主義万能主義・自由放任主義の方向性です。
資本主義経済に対して、自由放任的に対応すると、自然な流れで大企業を中心とした成熟した寡占体制となり、徐々に競争力が失われてしまいます。
寡占度を高めた基幹産業におけるマークアップ・プライシングによる価格設定はインフレを高め、さらに対外競争力が低下し、アメリカ製品が売れず、当然のことながら景気が沈滞し、スタグフレーションを引き起こします。
景気回復のための従来的な需要増加を目的としたケインズ政策的財政出動も、北欧のように腐敗指数が最良の順位で民主主義から派生する結果的客観的評価システム(詳しくはこちら)の機能が十分働いている政府下で行われるのならともかく、政治資金制度がほぼ自由放任でマネーゲーム化した民主主義下で腐敗指数が先進国中最悪とも言える順位であるアメリカの政府による財政出動は効果的な作用を及ぼしませんでした。
供給力を強化することを主としたサプライサイド経済学的な政策も、非現実的なセイの法則が成立する必要があり、その法則が成立するのは極めて限定的なものでした。
マネタリスト的な金融緩和も、短期的視点で言えば効果はあっても、カンフル剤や対症療法的なもので、根本療法的なものでないため、長期的視点で見ると、逆に反動によるリーマンショックなどの大きな恐慌を呼び込むことになってしまいます。
自由放任的な政治資金規制下での腐敗指数が悪い政府下でのケインズ政策が不十分もしくはマイナスの要素の結果的客観的評価システムが効いた状態とすれば、反ケインズ的・小さな政府を指向するマネタリズムやサプライド経済学的な政策は結果的客観的評価システム自体の作用を極めて少なくすることを意味します。
大事なことは質・量ともに充実・整備された客観的評価システムを実施することなのに、質の悪い結果的客観的評価システムを取るか、はたまた結果的客観的評価システムがほとんど効かない状態を取るかに議論は終始してしまっています。
従来通りのケインズ政策を選択したカーター政権も自由放任主義・小さな政府を指向したアダム・スミス的先祖返りの政策を選択したレーガン、ブッシュ政権も当然のことながら両方とも失敗します。
レーガン、ブッシュ政権に至っては莫大な財政赤字を含む双子の赤字状態になります。
しかし、この莫大な財政赤字を黒字に転換させる政権がアメリカに現れます。
それがクリントン政権です。
クリントン政権では、それまでの共和党政権の小さな政府を指向することでもなく、ニューディール以降の民主党の伝統的なケインズ政策を実施したわけでもありません 。
NPR 、国家業績評価という結果的客観的評価システムの一種を導入して、国家改造を行う過程において様々な政策、財政出動をして行きます。
比較的大きな政府の中、政府が民間の経済活動に積極的に関わり、雇用の創出をしていくという点では伝統的なケインズ政策とはほぼ変わりません。
しかし、そこに結果的客観的評価システムを直接効かせるか、そうでないかによって両者は大きく異なっています 。
NPR によって行政職員の意識は大きく変化し、目的を明確にし、業績測定などにより、インセンティブと行うサービスに対する説明責任を持ち、自発的な行動が見られるようになります。
その実施過程の中、ベンチャー企業支援や IT 産業発展の環境整備、次世代自動車開発などに補助金や軍が蓄積してきたハイテク技術を投入するなど、民間の経済活動への政府の介入に慎重だった共和党政権に対して、クリントン政権は政府の産業介入を鮮明にし、自由放任主義の方向性を大きく方向転換しながら、昔ながらのケインズ政策のように需要増加ありきのものではなく、明確な目的の下、実効性・効率性を重視した政策を進めて行きます。
その結果、アメリカ経済はアメリカ史上最長の景気拡大・株価上昇を記録し、失業率もインフレ率も低下し、30年近く続いていた政府の財政赤字もクリントン政権末期には解消されました。
ジャーナリズムはこの繁栄の下のアメリカ経済をニューエコノミーと名付けます。
この言葉はベトナム戦争以降の長い経済・社会の停滞・低迷を脱し、自信を取り戻した人々の心に刻まれました。
その背景には IT 革命に代表される技術革新の進展により、アメリカ経済の体質が変わり、強いアメリカ経済が復活したという認識にありました。
このレーガン、ブッシュ政権における小さな政府・自由放任主義的政策が失敗に終わり、クリントン政権における結果的客観的評価システムの一種を行政の業績に直接作用させる政策が効用し、アメリカ経済が奇跡の復活を成し遂げた現象は、正にイギリスが英国病を脱する過程(詳しくはこちら)における 現象と共通します。
小さな政府・自由放任主義のサッチャー政権下では英国病からは脱することができなかった中で、結果的客観的評価システムの一種を作用させたメジャー、ブレア政権下では、歴史上最も長い期間における安定成長を続け、先進国中一人当たりの GDP が最下位であったイギリスは上位に返り咲き、英国病を脱出することに成功している流れが、アメリカにおけるものと非常に類似しています。
財政赤字は公務員数の多さや大きな政府が原因とする考え方は、資本主義万能・自由放任主義・小さな政府を最良とする『国富論』著者のアダム・スミス以来の考え方です。
今、現在においてもこの考え方は強く根付いているのではないでしょうか?
しかし、イギリスにおけるサッチャーの大改革では、固有企業を民営化し、減税や規制緩和を行い、市場原理・利潤原理を取り入れて、経済の再建を目指しましたが、不況は改善されず、失業者数はむしろ増加し、財政支出も減りませんでした。(詳しくはこちら)
同様に、アメリカにおいては、自由放任主義・小さな政府を指向したアダム・スミス的先祖返りの政策を選択したレーガン、ブッシュ政権も莫大な財政赤字と貿易赤字が併存した双子の赤字に苦しみます。(詳しくはこちら)
両国とも、これらの苦境に対して改善の印を示すようになったのは、数値指標による業績管理という結果的客観的評価システムの導入がなされてからです。(イギリスはエージェンシー制度、アメリカはNPR 、国家業績評価)
また、大きな政府と言われていても、民主主義から派生した結果的客観的評価システムが正常に機能している北欧諸国では財政赤字の比率は他国と比べると極めて少ないものとなっています。
日本以上に福祉国家であり、大きな政府である北欧諸国の政府債務残高(対GDP比)では日本の四分の一以下で、腐敗認識指数・国際競争力も世界最良位レベルを諸国それぞれが保っています。
この日本と北欧諸国の大きな差を生み出した原因は、民主主義から派生する結果的客観的評価システムの機能の度合にあります。
選挙においては、日本では候補者の名前を連呼するような認知度・知名度など主観的要素を競うことを主とし、政治家は政策を学ぶより、新年会・忘年会・盆踊りなどの顔出しが重要視されますが、スゥエーデンでは、政策論争を中心とした静かな討論・対話集会が一般的で、各政党のマニュフェストを叩き台にした具体的な政策論議が進められます。
政治主導による政策の実行で政策党の公約の七割から八割はスゥエーデンでは実行されていきます。
抽象的な公約しか掲げられず、余り守られない日本とは対照的です。
また、投票率も、定員に対する立候補者数も圧倒的にスゥエーデンは日本を上回っています。
民主主義から派生する政権党の政治に対して多数の国民による選挙における得票率という評価と政権を任せるという報酬という結果的客観的評価システムでは他の野党との対比や選択肢の豊富さがその機能の充実度に直結しており、マニュフェスト等により具体的な公約が示され、過去実績において七、八割実行されていることは政権を任されていない野党であっても、政権獲得後のビジョンが把握でき、与党の代わりとなる選択肢になり得ると共に与党の実際の政治と以降の方針であるマニュフェスト等との対比にもなることから、日本の様にマニュフェストが抽象的で余り守られないことと比較すると機能の充実度がかなり高いといえます。
選択肢がなかったり、対比がしにくい状態では、当然投票率も下がり、日本の地方の首長を決める選挙では、相乗りの候補と共産党の候補の二択しかないことが常態化して、投票率も20%台とかなり低率になることもあります。
投票率が下がると一部の利権団体の影響力が大きくなり、正当な評価がされにくくなるという悪循環に陥ります。
財政赤字の問題解決を考えるにあたって、先ず、ピックアップすべきことは公務員数の多さや大きな政府・小さな政府ではなく、フィードバック的改善作用を持つ結果的客観的評価システムがどれだけ正常に適切に質・量(種類)ともに機能しているかという点にあると思います。
次に独特の結果的客観的評価システムを持つシンガポールを見ていきます。
シンガポールは戦後、隣国マレーシアのルック・イースト政策に先駆けて、日本をモデルに、日本が官僚主導の開発主義体制から日本株式会社と呼ばれたように、国というより、一つの株式会社と呼ばれるような産業の隅々まで、国・官僚のコントロールが行き届いた形態を創り上げました。
日本が、戦後の民主改革の恩恵により、一時期的にせよ多くのグループ主義が解除されることによって高度経済成長し、世界第二の経済大国になったものの、グループ主義の再構築によって、世界最大の政府債務残高(対GDP比)を保有するようになってしまったのに対し、同形態に思えるシンガポールは、健全に成長を続け、国際競争力・国際格付、腐敗指数など全て世界の最良・最上位のレベルを保持し続けています。
両方、官僚主導とする一つの株式会社と称される形態であるのに、一方は腐敗・癒着による無駄遣いによる借金大国になり、一方は官僚機構に関する調査でアジアで最も官僚の弊害が少ない評価を受ける違いはどこから来るのか?
それは、官僚の報酬体系から読み解くことができます。
日本においては天下りという非公式で、癒着性の高い、加えて上司や政官財のグループ主義などの主観的裁量の影響を受けるものを主体としているのに対して、シンガポールでは官僚の報酬はGDP成長率という客観的指標と連動し、国が成長すると報酬が増え、停滞すると報酬が下がります。
二十世紀末に一人辺り国民所得がかっての宗主国イギリスを抜いた時、政府は閣僚と高級官僚の給与を大幅に引き上げて、その労に報いました。
この結果的客観的評価システムによって、シンガポールの官僚は企業の業績を上げ、国を成長させることに全力を傾けます。
一方では天下りのなどのシステムによって、日本の官僚は公益に相反するグループ主義に邁進することになるのです。