記事の目次
①しくじり国家や殺戮皇帝が生まれるのはなぜでしょうか?
その国家を構成する民族や人種、もしくはその時代の人々の特性に問題があるのでしょうか?🙄
いえ、歴史的に考察すると、そうでないことが分かります。😀
主たる要因は人々を取り巻く環境つまり、システムであることが実感できます。
そのシステムの中でも最も焦点となる存在感を放つのが客観的評価システムです。
これがある、ない 十分に整備・機能している、していないによって人々が対立・紛争にまみれた不幸や地獄の苦しみに喘ぐのかwinwinの幸福度の高い国家を築けるかが残酷なほどにくっきりと分かれて来ます。
②古代中世において東洋一の大国として巨大な統一国家を形成・維持した中国の科挙制度(詳しくはこちらをクリック)
古代中世の中国では、殺戮皇帝や暴虐皇帝を続出させた五胡十六国時代のような春秋戦国時代、三国志時代 、南北朝時代と王朝と王朝との間には何百年と続く内乱と戦国の時代は続き、王朝の成立期間であっても 非常に内紛にまみれたものでした 。
この状況下で人材登用という点で歴史上極めて画期的なシステムが登場します。人材登用の客観的評価システムの中では極めて初歩的で内容的にも問題の多いものでしたが全くない状態から初歩的でもある状態の変化はそれだけでも劇的に新しい時代を切り開いていきます。
何百年という戦乱 を統一した隋の文帝により、実力によって官僚を登用するために九品官人法は廃止され、それに代わる官史登用制度として科挙が始められました。
科挙は試験による官史登用制度で中国では元の時代に一時期中断されたのを除いて、清代まで1300年間にわたり続けられました。
科挙が本格導入された宋の時代以降に中国では王朝から王朝までの何百年における内乱・戦国時代は見られなくなりました。
内乱や王朝交代期における短期間の戦乱は存在しましたが、度合いはかなり減少しました。
③古代中世の西欧において最大の繁栄を誇ったローマ帝国では補助兵を25年間勤めればローマ市民権が与えられた制度(詳しくはこちらをクリック)
ローマ帝国ほど、長期間・広範囲に繁栄した国家は古代・中世にかけて見当たりません。
その理由としては民主主義に見出すことはできません。その点で言えばアテネの方が遥かに進んでおり、しかもローマがより発展したのは共和政ローマから内乱の一世紀の崩壊の危機を脱して、帝制期を迎えてからのことだからです。
集団よりも大きな単位である社会・公(おおやけ)・国家が繁栄するためには、個と集団間がリンクしたグループ主義から来る対立・紛争を防止する個と公益または集団と公益をリンクしたシステムを構築することにあると言えます。
それをしなければ、自然な流れとして、個は自らの利のために集団とのリンクを集団欲の赴くままに強めることに集中してしまいます。
公益を第一に志す者が出てきたとしても、集団によって個の力を増大させた者には、個の力によっても、数の論理によっても伍することは難しくなります。
公益を主とする者を社会利益主義者、公(おおやけ)よりも集団を重視する者をグループ主義者とすると、良貨は悪貨を駆逐するように、前者は後者に追いやられてしまい、少数派になるか、または本音と建前の使い分けで本音が後者、建前は前者の二面性の強い社会になってしまう傾向になります 。
共和政ローマの政治系体は貴族制と民主制の中間系体的なものでした。世襲的な元老院、パトロヌス(庇護者)・クリエンテス(被庇護者)の癒着関係などグループ主義的な要素を多く含んでいました。
ポエニ戦争後、属州が増えてからは、特にそれに拍車がかかります。
貴族化、利権化した総督職は収奪が主な役割となり、凄まじい収奪から、属州になった地域の多くで数十年後には人口を1/10ほどに減少するような事態も起こってしまいました。
従属した都市の有力者はローマの政治家に多額の付け届けを欠かさぬことを重要な政策とし、少数の有力政治家の収入と財産が国家財政に勝る重要性を持ち、ローマの公共事業は有力政治家の私費に依存するようになりました。
ローマ市民はこうした巨富の流出に預かる代償として、共和制ローマの政治家に欠かせない政治支持を与える形で有力者の庇護下に入り、癒着 の強固な関係が築かれていきます。
ローマ軍の中核を成し、ローマを支え続けてきた自由農民の没落を救うために農地法を制定しようとしたグラックス兄弟も貴族階級により命を落とし、改革は失敗に終わり、内乱の一世紀に入ります。
そのグループ主義的な混乱を収拾し、ローマに一体化した紐帯を与えたのは帝制の基礎を作ったカエサル、アウグストゥスによる寛容政策とローマ市民権を報酬とする結果的客観的評価システムでした。
ローマ帝国は宗教・民族に寛容で、努力してローマに貢献すれば優遇される制度が、補助兵を25年勤めれば市民権が与えられる結果的客観的評価システムなど様々あり、それがローマ・アイデンティティとしてローマのインフラや防衛を支えることなどの公共善に一体的な紐帯を示すことになっていました。
公共善を指向する人々は、自分たちの時間・努力場合によっては財力やリスクを掛けて、それを成さしめようとします。
それに対して、グループ主義を志向する人々は、自分たちの利益と直結しやすい癒着や利権の構築に同じように、時間や労力などを費やします。
個と公(おおやけ)をリンクさせるシステムが特別なければ、自然の流れで前者は後者に駆逐されます。
前者の行動は後者に比べて、自分たちの利益に直結していないからです。
特に公共善のために既得権益を相手に改革を志す者は、さらにその度合いは激しくなります。
集団欲というのは、外部の敵に対しては凄まじい結束力を持って攻撃性を放つからです。
公共善のために尽くす社会利益主義者や改革者は、個と公(おおやけ)を直結するリンクによって優遇・保護するシステムがないと自然の流れの中で迫害され、除外される傾向が極めて高くなります。
そうなると、歴史的史実の観点では、社会全体が時間差で大きな不幸にまみえることになってしまっています。
共和制ローマ初期には重装歩兵としてローマの防衛に大きく寄与していた平民の発言権の向上から、民会の決定が元老院の承認を得ずにローマの国法になったり、平民の権利を擁護する護民官が設置されることなどにより、グループ主義的な貴族階級の権限の制限が、平民と貴族との身分闘争の中で進行している間は、共和政ローマは拡大・繁栄していきます。
しかし、拡大するに従って、属州に利権を得ることにより元老院などの貴族階級の力が増大し、改革を志した平民派で護民官のグラックス兄弟が暗殺されるに至っては、ローマは崩壊の危機に直面する内乱の一世紀を迎えることになります。
当時の、国際法や国連などが当然ない中では公益の最たるものは防衛や軍事であり、それらを支えた重装歩兵の主力となった自由農民である平民が拡大戦争によって、権限が増大するのではなく、逆に没落したことによりローマは内乱の一世紀という逆境に立たされます。
ローマの防衛や拡大に貢献した自由農民や平民が逆に没落した共和制末期に比べて、帝制期に近づく頃には、カエサルがグラックス兄弟が挫折した農地法を成立させ、元老院の権限を制限し、アウグストゥスが補助兵を25年勤めた者や水道工事・建物の建設に携わる専門家集団に市民権などの特権を与えるなど皇帝が個と公(おおやけ)をリンクさせる役割を持つようになります。
④小国ながら世界最先進国となっている現代のシンガポールにおける官僚などの賞与と GDP 成長率とを連動させる制度(詳しくはこちらをクリック)
シンガポールと北朝鮮は独裁・官僚主義国家です。
共通点が多いことから、シンガポールは明るい北朝鮮とも評されることがあります。
しかし、腐敗認知指数・国際競争力などにおいては全く真逆の結果になっています。
なぜでしょうか?
その鍵はそう客観的評価システムにあります。
シンガポール特有の客観的評価システムとして挙げられるのは、結果的客観的評価システムの一つである公務員給与が GDP と連動しているシステムです。
世界恐慌になった21世紀初頭のリーマンショック時には、 GDP が急落したために公務員給与が大幅に減額され、大統領・首相・閣僚レベル・官僚のトップ・国会議員なども2割近く削減されました。
逆に前年比で15%ほど GDP が増加した年には、上級公務員には8ヶ月分の GDP ボーナスが支給されました。
民間企業の業績とGDP が伸びた時は高い給料が支給され、下がれば支給される給料が減額されます。
そのため、シンガポールの官僚は民間企業の業績を上げ 、GDP を伸ばすために必死になります。
他国と比較すると官僚は非常に高い給料が与えられ、30代前半で2000万以上の給料を手にし、40代半ばでは1億円を超える者もあり、このことがシステムを十分に機能させることに大きく寄与して行きます。
同じシステムをシンガポールを真似て導入した中国においては、官僚の給料が極めて低いため、客観的評価システムの方向性よりも、得る利益が莫大な不正による利益追求の方向性に流れてしまい、機能不全どころか、ゴーストタウンの出現や環境破壊などプラスの作用よりもマイナスの作用の方が大きく、逆効果になってしまったのとは対照的と言えます。
第二に挙げられる客観的評価システムは、条件的客観的評価システムの一つであるメリットシステムです。
独裁国家の特有の性質として、政治家・官僚などのパブリックサービスの職業の者が、民主国家と比較すると圧倒的に権限を持ち、重要視されています。
そのため、パブリックサービス分野の人材育成やピックアップに関しては、非常に特化している傾向にあります。
シンガポールにおいても、最も有能な人材をパブリックサービスに就かせるべきだという思想に基づき、人材をその分野に集中させるための待遇面や育成システムが充実しています。
これは民主国家が場合によっては、素人的、ほとんど政治的知識のない大衆政治家が乱立し、時には政治的トップに立ってしまうのとは対照的であり、独裁国家が安定した民主国家よりも 優れている唯一の事柄と言えます。
政治分野は当然として、他の分野においても、シンガポールは人材こそ最大の資源の考えの下、充実した奨学金制度などで国内外から優れた人材を確保します。
大学の研究者や学生の半数をはるかに超える者が国外出身者になり、研究所のトップに欧米のトップクラスの研究者が据えられて行きます。
それらが欧米の企業の拠点をシンガポール誘致するアドバンテージになる等、企業にかかる税率の低さと相まって、全世界的に有力な企業をシンガポールに集めるための大きな役割となり、資源の乏しいシンガポールが人材を最大の資源とし、アジアにおける最先進国としての地位を築いていく大きな要因となります。
第三に挙げられる客観的評価システムは、本来ならば❷の政府形態(詳しくはこちらをクリック)である状況では機能しないものであるはずの民主主義から派生する結果的客観的評価システムです。シンガポールは大半をグループ選挙区にしたり、ゲリマンダー的に選挙区割りをしたりすることによって、強力なヘゲモニー政党制を作り出すことにより、事実上一党独裁を保持してきました。
しかし、選挙自体は秘密選挙で不正操作もありません。
投票率も棄権者には罰則規定があるため、90%以上の高率となっています。
つまり、政権党の政治に対する大多数の国民による得票率による評価システムにおいては、政権党が変化しない等、一部機能が欠落しているところがありますが、基本的には成立していることになります。
人民行動党の得票率が下がると、政府は高学歴女性の優遇措置を廃止するなど政策を変更したり、体制の改善処置を行います。
2011年の当時過去最低の得票率の時は、リー・クアンユーは責任を取り、完全引退しました。
リー・クアンユーは偉大な政治家といえますが、当然のことながら欠点もあります。
遺伝的、能力主義を重要視し、世帯収入が低く、学歴の低い母親の避妊手術を奨励する一方、大卒の母親には有給休暇や税金面で優遇措置が与えられ、生まれた子供にはエリート学校への入学が優先的に認められるなど先天的格差を生み出そうとします。
これらは、先述した通り、結果的客観的評価システムの改善・修正機能により政策修正が行われましたが、ギフテッドと発達障害が紙一重という実態からも、先天的能力選別作業よりも、後天的にどうそれぞれ与えられた能力を適材適所に育成し、伸ばしていくかの作業の方が社会の健全的発展のためには必要と言え、先天的能力主義よりも後天的努力主義が重要視されるべきと言えます。
ただ人民行動党の得票率が下がると、それ以外のケースにおいても、一定の改善作業が行われ、場合によってはリー・クアンユーの引退など最終政策決定者の責任対応も取られて行きました。
これは同じ❷の政府形態であるロシアのプーチン政権において不正選挙が蔓延し、結果的客観的評価システムがほとんど機能せず、改善機能が働かなかったこととは対照的と言えます。
共産主義など独裁政権においては、通常は機能する客観的評価システムは条件的客観的評価システムであるメリットシステムだけです。
しかも、時間の経過とともに、腐敗・癒着を伴うグループ主義形成がされ、その機能さえも低下して行きます。
シンガポールでは、メリットシステムだけではなく 、GDP と連動したものや政権党に対する得票率によるもの等の結果的客観的評価システムも機能するため、メリットシステムの時間経過による機能低下も防御でき、総合的複数の客観的評価システムの量と質の整備度は、 他の先進国や民主国家に比較しても充実しており、官僚が指導する官僚主義国家でありながら、官僚の弊害、権力の集中にアジアの中で最も毒されていない国との評価を得ており、腐敗認識指数や国際競争力も常に世界最良のトップクラスを維持し、継続した発展により、小国でありながら、世界の最先進国としての地位を築き上げました。
⑤近代世界の覇権国となったイギリスは民主主義から派生する政権党の政治に対して多数の国民による選挙における支持率という評価と政権を任せるという報酬制度(詳しくはこちらをクリック)
イギリスを揺るぎない世界の覇権国と足らしめたのは、民主主義から派生した政権党の政治に対して多数の国民による選挙における支持率という評価と政権を任せるという報酬による結果的客観的評価システムでした。
ウィリアム3世として即位したウィレムは子がなかったために、落馬事故で亡くなった後、メアリの妹のアンが王位を継承し、アン女王として即位しました。
アン女王も嫡子がないまま死去すると、遠縁にあたるドイツのハノーヴァー選帝侯が迎えられて、ジョージ1世として即位します。
しかし、この時、既に54歳で英語を解せず、イギリスの制度・慣習などについても知識がなかったために、イギリスよりもドイツに滞在することのほうが多く、政務を大臣たちに委ね、国王は君臨すれども統治せずという原則が確立しました。
1721年から20年間政権を担当したをウォルポール内閣から、内閣が議会に対し責任を持って国政を担当するという責任内閣制が成立し、議会政治は政党が選挙によって多数党の位置を競い、多数党が内閣を組織するという政党政治の枠組みが出来上がりました。
これによって、対立の暴力による決済に替わる体制内二党制が開始されました。
社会において改革しなければいけない事象が生まれた時、それを行うには必ず対立が伴います。
今までの長きに渡る歴史において、対立の暴力による決済がなされてきましたが、それは劇薬であり、副作用が強く、場合によっては、飲む前よりも対立が激化し、社会が荒廃してしまう危険性がありました。
かといって、それを恐れて改善が行われなければ、清流は常に流れなければ腐ってしまうように、社会も沈滞・衰退してしまいます。
それが、内戦・クデーターのような暴力を使わずに、平和裏に体制を大きく変革できるということは極めて画期的なことでした。
先の覇権国オランダにしても、人種的・宗教的なグループ主義的な対立は少なく、それが繁栄の礎にもなりましたが、対立は無になることは社会上決して有り得ません。
実際には大商人・都市貴族、宗教的には穏健的カルヴァン派が支持する連邦議会派と中小市民・農民層、宗教的には急進的カルヴァン派が支持する代々総督職を世襲して実質的なオランダ王家であったオラニエ家の対立がありました。
後には、それら都市貴族、オラニエ家などの従来の支配者層に代わってより徹底した共和制を求める愛国派も加わって、内戦状態になることも珍しくありませんでした。
そして、そのことがオランダ凋落の大きな原因にもなって来ます。
対して一方のイギリスにおいては、都市の商工業者、中産階級を基盤として議会の権利や民権の尊重を主張し、宗教的寛容・積極財政を採ったホイッグ党と王権・国教会を擁護して貴族・地主・聖職者の支持を受けたトーリー党が平和裏に交代して政権を運営していきます。
プロテスタントの要素、寛容の精神、そして初歩的ではあったものの民主主義から派生した結果的客観的評価システム である政権党の政治に対して多数の国民による選挙における支持率という評価と政権を任せる報酬というシステムによって、イギリスは世界覇権を確立していきます。
ヴィクトリア朝中期において、イギリス人は世界人口の2%でしかありませんでしたが、最先端業の生産設備では全世界の40%から45%を保有しており、世界の産業生産の実に4割を担っていました。
⑥世界一幸福な国デンマーク(詳しくはこちらをクリック)
デンマークはdreamingの⑾北欧諸国の近現代史を客観的評価システムの観点から考察(詳しくはこちらをクリック)で詳しく言及していますが、プロテスタントのルター派の教徒が国の大部分を占めるルター派諸国、北欧諸国の一つで、これらの国々は総じて、民主主義指数が世界最上位に位置して、安定した民主主義を長期間保持しています。
デンマークも腐敗指数が常に世界最上位レベルに良く、国会議員の投票率も90%近くあり、民主主義から派生する 結果的客観的評価システム(詳しくはこちらをクリック)が正常に機能しています。
民主主義から発生する結果的客観的評価システム以外にもNPM 的政府の業績評価に関する結果的客観的評価システム、職業資格を重視した第3段階目の条件的客観的評価システム(詳しくはこちらをクリック)も充実しており、世界的にも客観的評価システムの充実度という点では最上位に位置する環境を作り上げ、国民の幸福度・国際競争力がともに世界的に同様に最上位に位置するという他国と比較すると理想的ともいえる国家となっています。
⑦総括して
これらの歴史的史実の考察を総括すると、winwinの幸福度の高い国家を築くためには、客観的評価システムの整備・機能に焦点を集中し、政策を実施していくことが何よりも最重要なポイントであることが分かります。